吉田城中取替兵粮之事
合参百俵者、
右、此内二百俵者、鵜殿休庵・大原弥左衛門、相残百俵者、隠岐越前守立合相調、城中入候間忠節至也、然者此返弁之番者、於望之地可申付者也、仍如件、
永禄八[乙丑]年 二月三日
牧野右馬之允殿
同名山城守殿
野瀬丹波守殿
岩瀬和泉守殿
真木越中守殿
同 善兵衛殿
→戦国遺文 今川氏編2027「今川氏真朱印状写」(国立公文書館所蔵牛窪記)
吉田城中で取り替えた兵糧のこと。都合300俵。右は、この内200俵は鵜殿休庵・大原弥左衛門、残る100俵は隠岐越前守が立ち会って調達し、城中へ搬入したのは忠節の至りである。ということで、この返済の番は、希望する所領を申し付けるだろう。