梅龍寺文書に、1561(永禄4)年の尾張方侵入が記される
永禄四年辛酉五月十一日義龍死去、尾軍乱入、 同十三日従尾州乱入、別傳漸ク遁殺害奔出、不知落処、龍谷同前 同辛酉十二月十三日 亀年和尚遷化、 同五年壬戌三月二日 申刻傳燈焼亡、 同 三月十八日 夜於妙心寺 …
永禄四年辛酉五月十一日義龍死去、尾軍乱入、 同十三日従尾州乱入、別傳漸ク遁殺害奔出、不知落処、龍谷同前 同辛酉十二月十三日 亀年和尚遷化、 同五年壬戌三月二日 申刻傳燈焼亡、 同 三月十八日 夜於妙心寺 …
一昨日貴札忝致拝見候、然ハ土屋民部少輔内岡部惣左衛門と申人之妹、尾州之内寺部と申在所ニ罷有由、最前被仰下候、尾張之内ニ寺部と申在所有之儀、しかと覚不申候、三州之内大納言殿領分ニ寺部と申在所御座候処、御せんさく被成候へ共、 …
先日者、陣中へ飛脚祝着候、仍越後衆敗北之已後、至上刕出馬、如存覃行帰府、別而入魂候条、定而可為大慶候、随而崇福寺快川和尚、為恵林入院、當国へ来臨候、路次中傳馬以下馳走、偏ニ憑入存候、恐々謹言、 十月四日 信玄(花押) 長 …
急度令馳一簡候、仍信玄濃州之内遠山号岩村認候処、城主取合、敵数多討捕、敵追払候、則織田信長兄弟ニ候織田三郎五郎・河尻与兵衛、遠山岩村江入置、遠山七頭織田被入手候、惣躰遠山証人信玄ニ、差置候処ニ、遠山兄弟病死候付、此度信玄 …
御札拝覧申候、御家中之體、如仰外聞不可然次第候、於此方令迷惑候、不寄退候間共、不被捨置可被仰談事可然候、何篇重而以使者御存分可承候、三郎殿様雖若年之義候、不謂御苦労可為尤候、猶ゝ期来音候、恐惶謹言、 六月廿二日 道三(花 …
急度馳筆候、仍聞得分ハ、濃州一変、殊因幡山被則由、雖不初儀候、無比類擬目出度、為其不取敢以脚力申送候、何様重而可申遣候、恐々謹言、 七月十三日 輝虎(花押) 織田尾張守殿 →愛知県史 資料編11「上杉輝虎書状」(織田信長 …
就濃州之儀、尾張守如存分被申付、為祝儀宝蔵院差越被申珍重候、殊更時宜可然之由候、於良頼本望候、弥長久被仰談候者尤ニ候、於様躰者、宝蔵院・竜蔵坊可被申候条、不能具候、恐々謹言、 六月十五日 良頼(花押) 山内殿 →愛知県史 …
就尾州矢止儀、人質同心感悦処、信長乱入儀驚入候、雖然尚以参洛之事対尾張守申遣之間、最前之筋目無相違様令馳走者可為神妙、猶信恵可申候也、 閏八月廿六日 (足利義秋花押) →愛知県史 資料編11「足利義秋御内書」(名古屋市博 …
去ゝ月、此方使僧帰路之節、尊書并貴国家老従両人芳問、何以致拝披候、条々御懇之趣、本望之至候、其以来、則太守へ竜興雖可被申展候、遠山かたへ始末被迎送、彼方誓紙已下相固、可為申候歟、是又御指南次第候、両所へ愚報乍恐可預御伝達 …
諸荷物馬壱疋、国中往還之事、於末代違乱有間敷者也、仍如件、 永禄参申 九月日 (織田信長花押) 生駒八右衛門とのへ →愛知県史 資料編11「織田信長判物」(生駒文書) 荷物用の馬1疋、国内の通行に関して認めること、末代 …