北条氏康、豊前山城守が某の治癒を行なったことを賞し秘蔵の太刀を与える
今度彼病者、療治手尽既事極処、以良薬得減気、打続本覆之形ニ被取成候、誠不思議奇特、於愚老大慶満足不過之候、 鎌倉様へも意趣具可言上候、於東国御名誉不及是非存候、 仍刀菊一文字、氏綱不離身致秘蔵候、此度進置候、猶遠山左衛 …
今度彼病者、療治手尽既事極処、以良薬得減気、打続本覆之形ニ被取成候、誠不思議奇特、於愚老大慶満足不過之候、 鎌倉様へも意趣具可言上候、於東国御名誉不及是非存候、 仍刀菊一文字、氏綱不離身致秘蔵候、此度進置候、猶遠山左衛 …
一昨日者遂面上候、仍御前御煩、一昨日朝より豊前療治被申候、彼薬相当、自昨日熱気散候、殊夜中今朝者、すきと能候、然ニ産之脈証自今朝出来、腰腹心も其分ニ候、無力御入候時分窮屈ニ候、雖然、今度之煩能時分得減気、不思議仕合候、祈 …
黄梅院・養珠院住持職之事、哲首座・運首座無異儀候、仏法被相稼次第、速可申合候、将又、南陽院事者、各別之儀候間、右衛門佐ニ被仰合肝要候、恐々謹言、 正月十四日 氏政(花押) 黄梅院 →神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」( …
黄梅院住持職并寺領之事、奉任候、急度可有御入院候、仍状如件、 天正三年[乙亥] 七月十日 氏政(花押) 養珠院 衣鉢禅師 →神奈川県史 資料編3「北条氏政判物」(早雲寺文書) 黄梅院の住持職と寺の知行のこと、お任せ …
(懸紙ウハ書)「(墨引)大藤式部少輔殿 奥州(墨引)」 注進状只今至午刻到来、披見候、仍興国寺表へ遣人衆、敵陣之於往復、敵数多打取、頸六到来、寔時分柄與云、感悦之至候、則小田原へ披露申候、定可被成御書候、猶以手前堅固之備 …
昨日者入来、遥ゝ有之而遂会面、満足ニ候、殊昨夜草を被出、敵十余人被討捕族生捕、奥州へ被差越候、心地好仕合ニ候、今日小田原江罷帰之間、委細ニ可申上候、猶関山口上ニ申候、以上、 霜月廿八日 氏邦(花押) (折紙ウハ書)「大藤 …
壬生へ加勢衆 廿挺 鉄炮 卅人 弓鑓 合五十人水海衆 右、佐竹向壬生・鹿沼、動火急ニ相催由、注進候、依之手先之衆先加勢遣候条、記右人数、能物主指添、自小山大石信濃寺注進次第、不移時日、小山へ被相移、小山衆同断ニ壬生へ移 …
於幸嶋、飯沼足軽取候模様、彼足軽疾召寄候得共、煩故不及尋、今朝召出尋候、横曽根之市江罷越者ニ候之間、敵地通達曲事之由存、取由申候、然者兼日自幸嶋下妻通用往覆可押段、我ゝ不申付処、如此致候条、細ゝ不及糾明儀、早ゝ可返旨、申 …
廿七日之状、廿八日辰刻披見、何も得心申候、東口之一ヶ条をハ奥州へ申候、堅固ニ可申付候、 一長浜之城之儀者、今朝も其方以書状、表へ申候、如何ニも尤與之儀候間、幸彼地大川其許ニ可為籠城候、様子申付可遣候、 一下田之城ニ梶原可 …
廿日之状、今廿一辰刻到来、一 矢普請之儀者、先段氏直用所ニ而是へ被尋候時、諸人聞前にて、拙者申出候、氏直同意候キ、此度之矢普請者、御曲輪之内ニ候へ共、既大構出来よりして者、曲輪之内之者すましき與云儀、有間敷候、先氏政矢普 …