今川義元、大館左衛門佐に御内書発行の礼を伝える
天文十二 八廿日 就 禁裏様御修理之儀、日野町殿御下向、 御内書頂戴忝畏入奉存候、則鳥目五万疋調進仕候、可然之様取成所仰候、恐々謹言、 七月廿三日 治部大輔義元 謹上 大舘左衛門佐殿 →戦国遺文 今川氏編「今川義元書状写 …
天文十二 八廿日 就 禁裏様御修理之儀、日野町殿御下向、 御内書頂戴忝畏入奉存候、則鳥目五万疋調進仕候、可然之様取成所仰候、恐々謹言、 七月廿三日 治部大輔義元 謹上 大舘左衛門佐殿 →戦国遺文 今川氏編「今川義元書状写 …
御懇比之札令披見、仍爰元之義候条、可有御安心候、伊藤源三も夕部闕落之旨風聞候、是ハ目下之義不存候、さ候てハ近所ニてき有間敷候間、軈而可有帰陣かと存候、将又禰き公事之義承分候、一札之事承候へ共、ニ三日中ニ迚も帰陣之事候間延 …
為堀越六郎殿入牌領三島之内、賀子・岩崎拾五貫文之所、永代令寄進候状如件、 永禄元年 六月朔日 氏康(花押) 修禅寺 衣鉢閣下 →神奈川県史 資料編3「北条氏康判物」(修禅寺文書) 堀越六郎殿の位牌の知行として、三島の …
返ゝ、かのじりやう、いろゝゝわか身申うけ候て、正かくいんをとりたてつけをき申候うえハ、そゑきをはしめ、代ゝじやうじうよりのいろゐ、ゆめゝあるましく候、六郎殿御しやうかうの事と申、正かくいんの事ハなにとなりとも、御しをき …
にら山御城ふしんの人足、滝山へあたり候哉、諸人そんしのことく、彼地ニハちりさくにて、百姓の一人もなく候、此まへゝゝもさやうのしさい御申につゐて、滝山より人足いてす候まゝ、なをゝゝ■■ひも、こなたにて御ことわり御申候まゝ、 …
読み方は「きっと」で確定しているものの、現代語とは異なり「必ずや」というよりは、「速やかに」の意味があるように思われる。以下、文書を確認する。 1 文頭に存在し「取り急ぎ」といった意図で使われているであろうもの 急度以 …
[折紙] 倉内へ御樽肴之注文 一密柑 一合 一干海鼠 一合 一干物 一合 柳 三荷 以上 遠山新四郎 霜月晦日 近藤左衛門尉 参 →神奈川県史 資料編3「北条家進物折紙」(上杉文書) 1569(永禄12)年 …
(切紙)「(端裏ウハ書)新太郎殿 氏政」 自沼田之使衆入来之由候間、樒柑・江川進之候、一ツ可被勧候、以上、 六日 →神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」(志賀槙太郎氏所蔵文書) 沼田からの使者たちがやって来たそうなので …
雖誠乏少候、樒柑一箱并江川一荷進入候、御賞翫所希候、恐々謹言、 氏政(花押) 十一月廿九日 山内殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」(上杉文書) 1569(永禄12)年に比定。 些少ではありますが、蜜柑1箱と江川 …
今月十日、小田原へ罷着刻、 御状共可差出処ニ、従中途如申上候、遠左ハ親子四人薤山ニ在城候、新太郎殿ハ鉢形ニ御座候間、別之御奏者にてハ、 御状御条目渡申間敷由申し候て、新太郎殿当地へ御越を十二日迄相待申候、氏邦・山形四郎左 …