壬生へ加勢衆

廿挺 鉄炮

卅人 弓鑓

 合五十人水海衆

右、佐竹向壬生・鹿沼、動火急ニ相催由、注進候、依之手先之衆先加勢遣候条、記右人数、能物主指添、自小山大石信濃寺注進次第、不移時日、小山へ被相移、小山衆同断ニ壬生へ移、走廻候様、可被申付旨、水海衆へ可被御届候、猶依注進、自分可令出馬間、無油断可有支度旨、能ゝ可有演説候、仍如件、

[虎朱印]七月十八日

陸奥守殿

→神奈川県史 資料編3「北条家朱印状写」(下総旧事三)

1584(天正12)年に比定。

 壬生へ加勢する部隊。鉄砲が20挺。弓と槍が30人。合わせて50人の水海衆。右は、佐竹氏が壬生・鹿沼に向けて火急の動きがあったとのこと報告ありました。これにより前線の衆がまず加勢として派遣されるということで、右記の人数に有能な物主(責任者)を添えて、小山の大石信濃守へ報告し次第、時を移さず小山へ移動。小山衆は同じく壬生へ移り、活躍するよう指示する旨を水海衆へお届けなさって下さい。さらに報告により、自らも出馬されるでしょうから、油断なく準備されるべき旨、よくよくご説明下さい。

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