於幸嶋、飯沼足軽取候模様、彼足軽疾召寄候得共、煩故不及尋、今朝召出尋候、横曽根之市江罷越者ニ候之間、敵地通達曲事之由存、取由申候、然者兼日自幸嶋下妻通用往覆可押段、我ゝ不申付処、如此致候条、細ゝ不及糾明儀、早ゝ可返旨、申付候、今朝爰元帰候、定而可引散由申候間、来晦日ニ切可渡由、申付候、渡手別紙ニ書立、根岸致判進候、其分御心得候而、可被仰付候、恐々謹言、

五月廿日

氏政(花押)

陸奥守殿

→神奈川県史 資料編3「北条氏政書状写」(下野古文書集)

 幸嶋で、飯沼の足軽を拘留しました状況で、その足軽を早く呼び寄せようとしましたが、病気だったので尋ねられませんでした。今朝召喚して尋ねました。横曽根の市へ行こうとしていたので、敵地を通るのは不届きなことと思い拘留したと申しています。ということで、かねて幸嶋から下妻の通行を規制するように私が指示していなかったところ、このようにしてしまいました。こまごまと糾明せず早々に帰すよう指示しています。今朝こちらは帰りました。きっと引き散らかるとを申していますから、今度の月末までと期限を切って渡すように指示しています。渡す者は別紙に書きました。根岸が判をして進めます。そのことをご承知おきいただき、ご指示下さい。

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2 comments untill now

  1. 通りすがりの者 @ 2012-11-08 11:25

    「足軽取候」とは、内容からみて「足軽が押収した」という意味ではないのでしょうか。ですから、「爰元帰」も(拘留されていた人も)「此処から帰った」で、「引散」は「押収した物品が分配されて四散した」で、「判進」は押収物の行き先を追跡して「見分けて回収する」の意味ではないでしょうか。

  2. コメントありがとうございます。「足軽取候」の解釈ですが、何かの物品を押収したとするとそれが記述されると思います。北条氏康が大石真月斎に「薩摩船の貨物を回収した」と報告した文書では「自筑紫薩摩船流寄候、破損無紛候間、荷物為取之」と書いています。

    私の読みでは「根岸致判進候」は「根岸が(別紙に)判を致し(これを氏照に)進め候」となります。これは、拘引された足軽のリストに根岸某が花押を据え、その書類を氏照に渡す手立てになっているのだと考えたからです。ただ、「之進候」になっていないため「渡す」と断定的に解釈できずにいました。とはいえ書類に「進」がついた場合はほぼ「渡す」でよいと思います。

    「内容からみて押収」とのご指摘ですが、どの記述から押収とお考えだったのでしょうか。宜しければご教示下さい。