返ゝ、かのじりやう、いろゝゝわか身申うけ候て、正かくいんをとりたてつけをき申候うえハ、そゑきをはしめ、代ゝじやうじうよりのいろゐ、ゆめゝあるましく候、六郎殿御しやうかうの事と申、正かくいんの事ハなにとなりとも、御しをきまかせいり申候なに事においても、御たんかう申、御ふさた申ましく候、又かこ・ゆわさきたいくわんの事、しミつ惣ひやうへと申ものに申つけ候、もしすこしも御ふさた申候ハゝ、めしはなし候て、へつ人に申つけへく候、御心のため、申まいらせ候、なに事も又ゝ申へく候、かしく、

わさと申候、さてハ御ゐんきよ候ハんするよし、一日よりうけ給候、もつともにおもいひまいらせ候、さてハ六郎との御ほたいのためとして、うちやすいろゝうちなけき、御わひ事申候て、十五くわんめかこ・ゆわさきにて、申うけ候てまいらせ候、きつと正かくいんと申てらをとりたて、六郎殿まつ代のほたい所にし候ハんすると、おもひ入まいらせ候おりふし、御いんきよのもやうおほせられ候、さやうニ候ハゝ、正かくいんを御とりたて、かのてらへ御いんきよなされ候て、十五くわんめの所、さをゐなく御しよむ候て、六郎殿のほたいを御とふらい、たのミいりまいらせ候、そのうへたれなり共御らんしはからい、正かくいんにおほせつけられ、まつたいさをいなきように、御しをき御まへに候へく候、そのため、うちやすよりの御いんはんさしそへまいらせ候、仍如件、

[軍勝印判]

みの 九月三日

山き

めいさんへまいる

  申給へ

→神奈川県史 資料編3「山木大方朱印状」(修禅寺文書)

1557(弘治3)年に比定。

【追記部分】返す返す、あの寺領は色々と我が身に申し受けまして、正覚院を取り立てて委託しました上は、『そゑき』を初めとして代々常住の不正は、間違ってもあってはなりません。六郎殿御焼香のこととして、正覚院の事は何であっても処置をお任せします。どのような事であってもご相談して、ご無沙汰することはありません。また、賀子・岩崎代官の事、清水惣兵衛という者に任せています。もし少しでもご無沙汰するなら、罷免なさって別の人に任せて下さい。お心得いただくためお知らせします。何事もまたおいおい申します。
【本文部分】折り入って申します。今からご隠居なさるとのこと、1日に承りました。ごもっともなことと思います。さて、六郎殿のご菩提のためとして、氏康に色々と嘆いて頼み込みまして、賀子・岩崎にて15貫文の知行をいただきました。取り急ぎ正覚院という寺を取り立てて、六郎殿末代の菩提所にしようと思っておりました折に、ご隠居されるとのことをおっしゃいました。そうであれば、正覚院をお取り立ていただき、その寺へ隠居なさって、15貫文の知行を相違なく所務なさり、六郎殿菩提のお弔いをお願いいたします。その上で誰なりともご覧して計らい、正覚院に仰せつけられ、末代にわたって相違ないようにご処置をお願いします。そのために、氏康より御印判を差し添えいたします。

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