今川義元・氏真、井上但馬守が買収した金原屋敷の明細を保障する
「義元」袖判 「氏真」袖判 朝比奈帯刀売渡金原屋敷之内、南角拾壱間ニ中壱尺、東堅弐拾四間ニ中、北横拾弐間、西堅弐拾弐間ニ中、合弐百参拾坪余之事、右、自先規地子無之、任沽券之旨永可相拘之、不可有相違者也、仍如件、 弘治参年 …
「義元」袖判 「氏真」袖判 朝比奈帯刀売渡金原屋敷之内、南角拾壱間ニ中壱尺、東堅弐拾四間ニ中、北横拾弐間、西堅弐拾弐間ニ中、合弐百参拾坪余之事、右、自先規地子無之、任沽券之旨永可相拘之、不可有相違者也、仍如件、 弘治参年 …
其以後無音非本意存候、仍一昨日及合戦切崩討取候頸註文水十へ進之候、可有御伝語候、其方御様躰雖無案内候、懸意令申候、此砌松次三被仰談、御家中被固尤候、是非共貴所御馳走簡要候、就者申談、近年識弾任存分候、貴趣自他可申顕候、岡 …
信玄退散本望候、仍長々在陣、各御苦労無是非候、此上之儀、弥御馳走憑入候外無他候、猶御厨伯耆入道口上可有之候、恐々謹言、 卯月廿八日 氏真(花押) 大藤式部丞殿 →戦国遺文 今川氏編2357「今川氏真書状」(大藤文書) …
去五日、於本宮山竭粉骨、無比類走廻、蒙疵之段、感悦之至也、弥於当城、可被励忠節者也、依如件、 永禄十二年 卯月廿日 氏真(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2354「今川氏真感状」(西原文書) 去る5日、本宮山 …
珍札披見本望候、仍去年有太神宮御萱米料之儀被仰越間、雖斟酌申候、春木方達而被致候故、及披露、返事之旨申入候、遠州之義者、去年被申分候条、不及是非候、参州之事者領掌候、但三州手始令落之候、相残候国々之儀、同前ニ可被仰越候、 …
今度就忩劇犬居七人之者、令同道走回候段、喜悦之至也、然間為其賞、本意之上、於駿・遠両国之内、以望之地百貫文領地可充行、守此旨弥於山中筋、無相違様子可令馳走者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 正月廿日 氏真判 鈴木尉殿 → …
今月十二日星崎入城候、当城之儀灘手にて万自由候、今度我等人数武具以下馳走之段、殊外被成御褒美候条本望ニ候、其許火用心其外多時不可有緩事肝要候、将又内ニも碁石可有之候間、誰そ申候て急便ニ可差上候、呉々番衆中能々申聞候、日夜 …
最近になって知ったが、非常に趣旨の近しい論文が発表されていた。 「椙山之陣以来」にある「椙山之陣」は何を指すのか? ―竹井英文氏「その後の「杉山城問題」 」における批判に応える― 中西義昌・著 史学論叢第 44 号(別府 …
去九月廿九日於参州八幡合戦之刻、被官人稲垣藤介頸一討捕之旨太神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五年 十一月十三日 氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補292「今川氏真判物写」(藤原姓・稲垣氏 …
去五月八日於富永口長次郎構之人数相動刻、無比類走廻之旨神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押影) 池田小左衛門殿 →愛知県史資料編14 補290「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下) 去る5月8 …