今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河富永口で活躍したことを賞す

去五月八日於富永口長次郎構之人数相働之刻、被官稲垣藤介蒙鑓疵之所神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五 八月七日  氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補289「今川氏真感状写」(藤原姓・稲垣氏家 今川氏真、牧野成定に、被官稲垣長茂が三河富永口で活躍したことを賞す

北条氏政、清田内蔵佐が薩埵山で敵の夜襲を撃退したことを賞す

昨十三夜・於薩埵山、敵夜掛之刻、敵壱人新井小次郎与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日  (北条氏政花押) 清田内蔵佐殿 →戦国遺文 今川氏編2312「北条氏政感状」(浄光寺文書) 北条氏政、清田内蔵佐が薩埵山で敵の夜襲を撃退したことを賞す

今川氏真、篠田弥五郎に、三河挙母城などでの戦功を賞し、所領を与える

先年於衣之城依令忠節出置本給、并上野・広瀬逆心之刻於当城走廻之条、以広瀬領之内為新給令扶助之旨、任先判形畢、永不可相違、縦広瀬雖令赦免不可及異儀、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄三[庚申]年 七月廿八日  氏真(花押 今川氏真、篠田弥五郎に、三河挙母城などでの戦功を賞し、所領を与える

今川義元、荒川某に、西尾の吉良義昭離反後の政治情勢を伝える

自筆之尊翰■■■本望候、先々被得■■■珍重候、西尾之御事、大方御心得候哉、義■御造意不及■■■、即時ニ御舎弟長三郎殿為人質緒川へ御越候而、緒川・苅屋之■■西尾城へ被入候、何御不足候哉、不能分別候、下ニ而ハ大河内・富永与十 今川義元、荒川某に、西尾の吉良義昭離反後の政治情勢を伝える

愛知県史資料編14着

愛知県に購入を申し込んでいた『愛知県史資料編14』が手元に入った。7月上旬には段取りはついていたのだが、諸事慌しく大幅に遅れてしまった。 内容をざっと見たところ、『戦国遺文 今川氏編』にもなかった氏真感状や、緒川・刈谷に 愛知県史資料編14着