北条氏直、桜井武兵衛尉の、下野国足利における忠節を賞す
去月廿四日、向足利伏兵之砌、終日抽而走廻之由、神妙候、弥可相稼候、謹言、 二月二日 氏直(花押) 桜井武兵衛尉殿 →2020「北条氏直感状」(島根県松江市 桜井元昭所蔵) 小田原市史は天正18年、年表は17年に比定。 …
去月廿四日、向足利伏兵之砌、終日抽而走廻之由、神妙候、弥可相稼候、謹言、 二月二日 氏直(花押) 桜井武兵衛尉殿 →2020「北条氏直感状」(島根県松江市 桜井元昭所蔵) 小田原市史は天正18年、年表は17年に比定。 …
八月廿八日於山川口、久下兵庫助一人打取之由、并地主早水惣左衛門・立崎綴正、敵一人宛打取候、感悦、堀左へ■依而弥可走廻之旨、被仰出者也、仍而如件、 九月十日 『押欠写』 大石信濃守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1944「北条 …
舟橋三王山南之構之小ほり半分ツゝ、両宿より可致之候、模様者、近藤治部左衛門・太田美作守如作意可致之者也、仍如件、 天正五[丁丑]年 [朱印]壬七月朔日 関宿 綱代宿・臺宿町人衆中 →戦国遺文 後北条氏編 1925「北条家 …
鷹之鶴初ニ候、浦山敷候、小田原へ則遣候、将又動之模様をハ、左馬助ニ委細書付渡候、三浦にて彼書付、其方可入披見候、両人を当所ニ致候、恐ゝ謹言、 九月廿七日 氏政(花押) 上総入道殿 →戦国遺文 後北条氏編 1875「北条氏 …
雖顕先書、猶遣飛脚候、椎津地之当番高城ニ候へ共、高城大手へ参陣之間、人衆可引由申付候、彼地へ相当程東金相談、自両所早ゝ先人衆を籠置、肝要候、恐ゝ謹言、 六月五日 氏政(花押) 酒井伯耆守■ →戦国遺文 後北条氏編 191 …
五月十五日、於才原敵討捕候、神妙ニ被思召候、仍俵子被下候、向後弥軽身命走廻者、御恩賞任望可被与旨、被仰出者也、仍如件、 庚辰[印文未詳]六月八日 坂本四郎左衛門 →戦国遺文 後北条氏編 2177「北条氏照朱印状写」(新編 …
新儀ニ申付四艘之早船、乗組四十人、此扶持給貮百四拾貫文、自来暮速ニ可被下候、従前ゝゝ定少雖不足候、先当年一廻ハ此分可請取、走廻次第、従来年御加恩可被下者也、仍如件、 [朱印] 天正三年[乙亥]三月廿五日 安藤豊前入道 奉 …
今度於佐貫前、敵船ニ懸合、陸地へ押上、早船三艘切取、殊数ケ所、致鎗手、自身愛河[を]被討捕ノ事、誠ニ無比類候、仍太刀一腰[未紀]遺之候、弥可抽忠節之状、如件、 天正五年[丑] 十二月二日 氏規在判 山本太郎左衛門尉殿 → …
一、対当方へ罪科人、越国没落之上、何分ニも当方之策媒ニ有之儀候、如下知被申付尤候、一、大石甚之事、不心得由先段申候、何分ニも越国之者、大途之扶助人者、大途之下知次第候処、其方自分之様ニ取成、我ゝ状をも不為渡、我侭ニ被成様 …
今度当表隙入ニ付而、榎本ニ以三百之人数在陣可走廻由、対陸奥守証文披見候、肝要至極候、先書当表参陣与申遣ハ、小官之申合不知以前ニ候、於何口之走廻も同前候、殊佐竹定而可出張間、城主近藤与相談、堅固之防戦専一候、恐ゝ謹言、 九 …