八月廿八日於山川口、久下兵庫助一人打取之由、并地主早水惣左衛門・立崎綴正、敵一人宛打取候、感悦、堀左へ■依而弥可走廻之旨、被仰出者也、仍而如件、
九月十日
『押欠写』
大石信濃守殿
→戦国遺文 後北条氏編 1944「北条氏照?判物写」(安得虎子十)
天正5年に比定。
8月28日山川口において、久下兵庫助1人を討ち取ったとのこと、ならびに地主早水惣左衛門・立崎弾正が、敵1人ずつを討ち取りました。感悦なさっています。『堀左』へますます活躍するようにとの旨、仰せである。
八月廿八日於山川口、久下兵庫助一人打取之由、并地主早水惣左衛門・立崎綴正、敵一人宛打取候、感悦、堀左へ■依而弥可走廻之旨、被仰出者也、仍而如件、
九月十日
『押欠写』
大石信濃守殿
→戦国遺文 後北条氏編 1944「北条氏照?判物写」(安得虎子十)
天正5年に比定。
8月28日山川口において、久下兵庫助1人を討ち取ったとのこと、ならびに地主早水惣左衛門・立崎弾正が、敵1人ずつを討ち取りました。感悦なさっています。『堀左』へますます活躍するようにとの旨、仰せである。