五月十五日、於才原敵討捕候、神妙ニ被思召候、仍俵子被下候、向後弥軽身命走廻者、御恩賞任望可被与旨、被仰出者也、仍如件、
庚辰[印文未詳]六月八日
坂本四郎左衛門
→戦国遺文 後北条氏編 2177「北条氏照朱印状写」(新編武蔵国風土記稿百十一多摩郡)
天正8年に比定。
5月15日、才原において敵を討ち取りました。神妙に思し召されました。俵子を下されました。今後ますます身命を軽んじて活躍するなら、ご恩賞は望みのまま与えられるだろうとの仰せである。
五月十五日、於才原敵討捕候、神妙ニ被思召候、仍俵子被下候、向後弥軽身命走廻者、御恩賞任望可被与旨、被仰出者也、仍如件、
庚辰[印文未詳]六月八日
坂本四郎左衛門
→戦国遺文 後北条氏編 2177「北条氏照朱印状写」(新編武蔵国風土記稿百十一多摩郡)
天正8年に比定。
5月15日、才原において敵を討ち取りました。神妙に思し召されました。俵子を下されました。今後ますます身命を軽んじて活躍するなら、ご恩賞は望みのまま与えられるだろうとの仰せである。