雖顕先書、猶遣飛脚候、椎津地之当番高城ニ候へ共、高城大手へ参陣之間、人衆可引由申付候、彼地へ相当程東金相談、自両所早ゝ先人衆を籠置、肝要候、恐ゝ謹言、
六月五日
氏政(花押)
酒井伯耆守■
→戦国遺文 後北条氏編 1919「北条氏政書状」(千葉市立郷土博物館所蔵文書)
『遺文』は花押から天正5年とするが、氏直が家督継承して「大手」を形成する天正9年以降の比定も可能。
先の書状に書きましたが、さらに飛脚を送ります。椎津の当番は高城ですが、高城は大手軍に参陣していますので、部隊を引くようにとのこと申し付けられています。あの地の当番は東金と相談し、両所より早々にまず部隊を配置するのが大切です。