簗田持助、宇都宮広綱に、北条氏照夜襲を撃退したと伝え至急の援軍を請う
急奉啓候、厥以来御当口何条之儀御座候哉、承度令存候、■義重奥口御出馬時分柄与云、御肝要ニ存候、仍去月廿七北源総武之衆被相集、当地関宿之地へ夜中諸口へ詰来候、備申付候故悉敗軍至候、今捨置候持道具以下毎日取来候、因茲城中及糺 …
急奉啓候、厥以来御当口何条之儀御座候哉、承度令存候、■義重奥口御出馬時分柄与云、御肝要ニ存候、仍去月廿七北源総武之衆被相集、当地関宿之地へ夜中諸口へ詰来候、備申付候故悉敗軍至候、今捨置候持道具以下毎日取来候、因茲城中及糺 …
態申届候、抑晴朝以媒介、白川当方遂和睦候、如此之上、自御当方も白川へ被仰合可然候、依之及使者候、窮て如斯之意趣、自晴朝可有諷諫之条不能具候、恐々謹言、 霜月十三日 義重 那須殿 →「佐竹義重書状写」(下野那須郡寺子村農 …
此度高滝中書御帰路、幸存令啓進候、諷々も先年総州御陳已来不能面上候、追紙御床敷侭御上申迄候、一両年已前迄者くる里ニ御在候由其聞候き、然所ニ正大御懇細故其地へ御移之由、中書御伝何承届候、練々令帰も候、正大へハ於厩橋・臼井茂 …
急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令 …
内ゝ以御使節可被仰出由、思召候処、遮而以代官懇言上、喜入候、去比者、古河之地無心元之段、節ゝ言上、御感悦候、抑此度氏政関宿被取詰候処、輝虎・義重相談、雖及後詰候、陣中備堅固故、失利退散、羽生地引明敗北、剰佐竹・宇都宮令懇 …
極月十二日之御懇札、当年昨九日令披見候 12月12日の日付がある白川義親書状を、北条綱成は昨日9日に読んだとしている。中26日で白川から到着したことになる。到着地点は綱成居城の玉縄と考えてよいと思う。後の文で氏政が小田原 …
急度令啓候、抑已前度ゝ申達候、至野州口近日可致出張候、内ゝ以使、始中終所存雖申述度候、路次不自由之間、不及了簡候、願者至于中旬、向佐竹御出張所希候、若替儀有之者、重而可申入趣、委細弟候源三可申候、恐ゝ謹言、 三月廿二日 …
懇望・悃望の用例についてまとめた。なお、懇望と関係が深い『赦免』は、検証a18:刈谷赦免についてでまとめているのでご参照を。 a 懇望された側が明記された場合 a-1 斯波義達から上杉顕定へ 就遠州之儀、従屋形管領へ依懇 …
大平致帰国付而、乍便啓達、抑其以来令絶音問、意外令存候、其時分態預脚力候、於宇都宮・皆河堺越度候、無是非存候、雖然、御状三通ハ無相違自皆河参着、披見申候、盛興御遠行、於拙者落力、御心中察存候、更以、難尽帋面候、内ゝ此趣疾 …
急度預御一翰御使ニ候、再三披見恐悦候、如来書、其以来遠境不自由故、絶音問候、仍去夏御息動之剋、御立遂面上本望候、尤於向後対御父子へ不可存疎隔意候、然而愚息左衛門大夫別而貴殿申合候由、連ゝ申事ニ候、愚老本望不過之候、扨又今 …