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簗田晴助、岡本禅哲に、栗橋に氏照が在城し関宿攻撃の風聞があることを伝える

急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令校量候、御味方中進退之是非此時候、随而旧冬栗橋江被移御座候以来、北源至于今日在城不審存候、氏政出張、於彼地被相待之由、其聞候、尚以窮屈迄候、何ニ御当口早速被明御隙御帰陣念願候、爰元之様子万端以使雖可申述候、不自由之間、非無沙汰候、是又御取合任入候、遠路一段御辛労察申候、余事期来信候、恐ゝ謹言、

弐月七日

 洗心斎 道忠(花押)

梅江斎 進覧

→戦国遺文 房総編1463「簗田道忠書状写」(秋田藩家蔵文書十岡本又太郎元朝所蔵文書)

1574(天正2)年に比定。

 取り急ぎお伝えします。佐竹義重が陸奥国方面にご出馬とのこと、それを聞きました。本当にめでたくご肝要にお考えのことだと思います。それをもって往路のご様子を承りたく。さて越後国府より蔵主をもってご相談がありました。関東の是非であるからと申しています。これがなかったとしても、年来のご首尾といい、今般の戦果に極まります。そちらに念を入れられないのに、越山は相違でありましょうと、考えております。お味方中の進退の是非はこの時です。従って、旧冬に栗橋へお移りになられて以来、北条氏照が今日に至るまで在城しているのは不審に思います。氏政の出動を、あの地で待っているのだと、聞いております。なおもって窮屈なことです。何れにせよそちら方面はすぐにご用をお済ませになって、ご帰陣を念願しています。こちらの様子は全て使者が申すでしょうけれども、不自由なので無沙汰ではありません。これもまた、ご調整に任せます。遠路は一段とご辛労のこととお察しします。その他のことは次の機会を期します。

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