内ゝ以御使節可被仰出由、思召候処、遮而以代官懇言上、喜入候、去比者、古河之地無心元之段、節ゝ言上、御感悦候、抑此度氏政関宿被取詰候処、輝虎・義重相談、雖及後詰候、陣中備堅固故、失利退散、羽生地引明敗北、剰佐竹・宇都宮令懇望、関宿出城、併関東静謐之基候、定肝要可心安由、御識察候、仍一荷三種到来、目出度候、恐ゝ謹言、

閏霜月廿五日

 義氏(花押)

由良刑部太輔殿

→戦国遺文 古河公方編951「足利義氏書状」(東京大学文学部所蔵由良文書)

1574(天正2)年に比定。ほぼ同文の写しが、新田治部大輔、南図書頭宛てで存在。

 内々にご使節をもって仰せ出されられようと思し召していましたところ、遮って代官をもって丁寧に言上し、喜んでおります。去る頃は、古河の地が心もとないと節々と言上し、ご感悦です。そもそもこの度、氏政が関宿を取り囲んでいましたところ、上杉輝虎・佐竹義重が示し合わせて後詰に及びましたが、陣中の備えを堅固にしたので利を失い退散、羽生の地を引き明けて敗北、更には佐竹・宇都宮を懇望させて関宿を開城、そうして関東静謐の礎となりました。きっと肝要で心安いだろうとのこと、ご識察です。さて一荷三種が到来し、めでたいことです。

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