急奉啓候、厥以来御当口何条之儀御座候哉、承度令存候、■義重奥口御出馬時分柄与云、御肝要ニ存候、仍去月廿七北源総武之衆被相集、当地関宿之地へ夜中諸口へ詰来候、備申付候故悉敗軍至候、今捨置候持道具以下毎日取来候、因茲城中及糺明候処、かせ者横田孫七郎・山崎弾正忠・植野主計助・森監物・石塚小次郎■者共、北源へ申合候条、不漏一人も遂成敗、従類迄及其沙汰候、殊家中仕置尚以申付候条、於爰許者、如何にも御心易可被思食候、但数年之労屈之上、当秋越府へ被申合、御急速御調儀念願申候、何様追而以代官可奉伺候、恐ゝ謹言、

八月十日

 八郎 持助(花押)

宇都宮殿 御■

→戦国遺文 房総編1489「簗田持助書状」(小田部好伸氏所蔵文書)

1574(天正2)年に比定。

 急ぎ申し上げます。それ以来そちらの方面で何かございましたでしょうか。承りたく思います。佐竹義重が陸奥国方面にご出馬の時節柄といい、ご肝要に存じます。去る月27日に北条氏照が房総・武蔵の衆を集められて、この関宿の地へ夜中諸口へ攻め寄せました。防備を指示したので全て敗軍となっています。今は捨てて置いた武器などを毎日取りに来ています。このことから、城中で糾明に及んだところ、かせ者の横田孫七郎・山崎弾正忠・植野主計助・森監物・石塚小次郎などの者ども、北条氏照へ示し合わせていましたので、一人も漏らさず成敗を遂げました。従類にまでその処分を下しています。特に家中の処置は更に申し付けておりますので、こちらのことは、いかようにもお心易く思し召し下さい。但し、数年の疲労が溜まっているので、この秋越後国府中へ申し合わせられ、お急ぎのご調儀を念願しております。その他は追って代官がお伺いいたします。

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