此度高滝中書御帰路、幸存令啓進候、諷々も先年総州御陳已来不能面上候、追紙御床敷侭御上申迄候、一両年已前迄者くる里ニ御在候由其聞候き、然所ニ正大御懇細故其地へ御移之由、中書御伝何承届候、練々令帰も候、正大へハ於厩橋・臼井茂令面上候条、拠思慮在壱札を以申達候、当口相応之義無御隔心仰蒙候者、左衛門督様可走廻候、御取合任入候、去度輝虎御越山、新田近辺迄御調義、早々厩橋へ被納馬候、越府て御人衆過半被相返候間、氏政去月下旬有御越河、小山へ被及御近陳、于今到御張陳、依之任広綱御懇望ニ義重にも宇宮へ取越被申候、爰元之様子中書令推量候、此方ニ御武法御■歓新令留候、彼■子聞申度迄候、於何方も一度参合度此一事候、彼御方御急之間、不能細筆候、恐ゝ謹言、

五月十八日

 通朝(花押)

太田新六郎殿 御宿所

→戦国遺文 房総編1473「江戸通朝書状写」(古案)

1574(天正2)年に比定。

この度高滝中書(中務?)のご帰路で、幸いと思いお手紙を進呈します。『諷々も』(風説はあっても?)先年の総州でのご陣以来お会いできませんでした。紙を追ってお懐かしいままにご上申します。一両年以前までは久留里にいらっしゃるとのことを聞きました。そうしたところに、正木大膳(憲時)が『御懇細』(仔細?)ゆえにその地へお移りになったとのこと。中書のお伝えを何かと承っておりました。『練々』(返す返す?)帰らせます。正木大膳へは厩橋・臼井でもお会いしていますので、思慮によらず一書をもって申し達します。そちらの方面で相応のことを心に隔てなく仰せいただければ、(佐竹)左衛門督様は活躍するでしょう。ご調整をお任せします。去るたび上杉輝虎がご越山、新田周辺にまでご調義し、早々に厩橋へ馬を納められました。越後国府へ部隊の過半数を返してしまいましたので、氏政は去る月下旬にご越河し、小山へ近陣に及ばれました。現在も陣を張っています。これにより、宇都宮広綱のご懇望に任せ、義重も宇都宮へお越しいただくよう申されました。こちらの様子は中書が推し量っています。こちらにご武法なさるならお喜びでしょう。あの様子を申し聞かせたいまでです。何れにせよ一度お会いしたく、この一時でございます。あのお方がお急ぎなので、詳しくは書きません。

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