今川氏真、平野鍋松の相続を保証する
当知行分之事 一所 鎌田原 一所 庄安西之内芝 一 弐拾七石九斗 一 拾九石余 一 四拾俵 一 定夫 以上 右者、五月十九日於尾州天沢寺殿御討死之刻、父輝以無比類令討死段甚以忠節之至也、因茲任先判形之旨、当知行分 …
当知行分之事 一所 鎌田原 一所 庄安西之内芝 一 弐拾七石九斗 一 拾九石余 一 四拾俵 一 定夫 以上 右者、五月十九日於尾州天沢寺殿御討死之刻、父輝以無比類令討死段甚以忠節之至也、因茲任先判形之旨、当知行分 …
今度不慮之儀出来、無是非候、然者当城之儀、堅固申付之由喜悦候、軈而可出馬候、猶三浦内匠助可申候、謹言 五月廿五日 氏真(花押) 天野安芸守殿 →豊明市史「今川氏真書状」(天野文書) この度思いがけない事態が発生しました …
就同名安芸守岩小屋在城令扶助、米銭之内四分一配当之段領掌了、弥可抽忠切者也、仍如件、 永禄元 戊午 年 八月廿日 治部大輔 判 天野小四郎殿 →静岡県史 資料編7「今川義元判物写」(天野文書) 同じ苗字の安芸守が岩小屋 …
遠江国所々知行分、同国代官職事 右、任代々判形、父貞宗譲与之旨、永領掌不可有相違、并野辺・二俣御厨等不入事、是又所任先判也、但除棟別、縦増分雖為出来、令収務可増知行役、守此旨、弥可抽忠信之状如件、 永禄弐 己未 年 二月 …
去々年信州江富士下方之人数為甲州之合力差遣之処、就井出甚右衛門尉煩、一宮出羽守仁相断令帰陣、彼煩終不平癒令死去之上、廣瀬三右衛門尉并土橋彦三郎為訴人構虚病致帰陣之旨訴出之条、双方遂裁断之処、一宮出羽守為証文之間尋之令糾明 …
「簗瀬九郎左衛門尉殿 氏真」 今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦、為初奥平久兵衛尉・鱸九平次、随分者数多討取段、甚以感悦之至也、然者本知行・新知行、先判爾有之由申之条、任其儀訖、但新地之事者、敵地切出次第、可令所務、縦先 …
態令啓候、蔵人佐殿駿州一和之儀、以玉瀧坊申届候、成就於氏康令念願計候、併可在其方馳走候、恐々謹言、 五月朔日 氏康(花押) 酒井左衛門尉殿 →『小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1』四八七号 「北条氏康書状」(里見忠 …
久不能音問候、抑近年對駿州被企逆意ノ由、誠以歎敷次第候、就之自駿府當方へ出陣ノ儀承候間、氏康自身出馬據歟、■州閣■敵、於三州弓矢無所詮候、去年來候筋日(目)駿三和談念願、就中三悪(亜)相如(御)筋(物)語ハ、就彼調被成下 …
一 竪文 夕庵筆ノ写 一字モ不違八行也、 嶋田かたへ御状令拝閲候、よって網懸之鶻(たか)被懸御意候、寔以畏悦之至候、殊先日も兄弟鶻給候、雖申尽候、尚以当年自何方無到来候之処、及度々如此之儀奇特存候、旁従是可令申候条、不能 …
此方就在陣之儀、早々預御折帋、畏存候、爰許之儀差儀無之候、可被御安心候、先以其表無異儀候由、尤存候、弥無御油断、可被仰付儀肝要候、尚林新五郎可申候、恐々謹言、 閏十一月十一日 信秀 水野十郎左衛門尉殿 御返報 …