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今川氏真、平野鍋松の相続を保証する

当知行分之事

一所 鎌田原

一所 庄安西之内芝

一  弐拾七石九斗

一  拾九石余

一  四拾俵

一  定夫

以上

右者、五月十九日於尾州天沢寺殿御討死之刻、父輝以無比類令討死段甚以忠節之至也、因茲任先判形之旨、当知行分并代官所永不有相違、自然代官之地自余之輩尓雖出置之、既為討死之跡上者、代官分其改替之儀可出置之、然者於市部郷令所務、弐拾七石五斗分ハ、彼郷諸損免雖有之、不可有其引立旨、是又所任先判形也、守此旨弥可励忠抽之状、仍如件、

氏真(花押影)

永禄三 庚申 年 七月晦日

平野鍋松殿

→愛知県史 資料編11 「今川氏真判物写」(今川家瀬名家記一)

 現在の所領のこと。(所領一覧略)
 右は、5月19日に尾張国で天沢寺殿(今川義元)が討ち死にした際、あなたの父親の輝以は比類のない忠義を尽くして討ち死を遂げたことは忠節の至りである。よって、先の判形の旨により、当知行と代官所のことは末永く相違ないように。万一、代官の地が他人に出置かれたとしても、既に討ち死にした者の相続地であるから、代官分は改めて出し置くこと。ということで市部郷の徴税させる。27石5斗分が郷の損害控除であるとはいえ、その引き立てがあってはならない。これもまた先の判形に任せる。この旨を守り、いよいよ忠義に励むように。

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