今川氏真、丸子宿に伝馬の規則確認を行なう
丸子宿伝馬の事 右、公方荷物の事は、壱里拾銭を除き、その外の伝馬壱里拾銭取るべき旨、先年相定むる処、事を左右に寄せて相紛ると云々。然る間、自余に相替はり、余慶の地無き為により、当宿怠退に及ぶの旨、只今訴訟を企つ条、向後に …
丸子宿伝馬の事 右、公方荷物の事は、壱里拾銭を除き、その外の伝馬壱里拾銭取るべき旨、先年相定むる処、事を左右に寄せて相紛ると云々。然る間、自余に相替はり、余慶の地無き為により、当宿怠退に及ぶの旨、只今訴訟を企つ条、向後に …
ちくま文庫、北川悌二訳。この作品は結構苦手で、一読はしているがその後3回ほど読みかけで放置していた。ネルへの感情移入ができないので、現在でも読んでいてしんどい。ネルは自業自得だと思ってしまう。恐らく、私には「肉親のため …
1559(永禄2)年 四月十五日大氷降。十二月七日ニ大雨降。俄ニ雪シロ水出テ。法ケ堂悉皆流レ申候。又在家ノ事ハ中村マルク流シ候無限。 4月15日に大きな氷が降った。12月7日に大雨が降った。急に『雪シロ水』(雪解け水か …
当郷年来陳夫之を相勤むと雖も、刈屋陳の刻、百性等困窮に就いて逐電に及ぶの上、陳夫一円免許たるの旨申すの間、今度奉行人仁相尋ぬるの処、歴然たる由申すの条、儀に任せ、向後一切免許し畢。殊に材木以下別して奉公せしむるにより、自 …
当知行之内、北矢部并三吉名之事 右父玄忠隠居分、先年分渡云々、然者玄忠一世之後者、元信可為計、若弟共彼隠居分付嘱之由、雖企訴訟、既為還付之地之条、競望一切不可許容、并弟両人割分事、元信有子細、近年中絶之刻、雖出判形、年来 …
大高城が5月19日の合戦の焦点になるかもしれない。というのも、尾張国内に侵攻してからずっと、今川軍の大きな作戦目標に「大高への補給」という焦点があったからだ。具体的に検証すると以下のようになる。 鵜殿氏→1560(永禄 …
去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時、太刀打被鑓疵三カ所云云、無比類働尤神妙候、弥可抽戦功者也、仍如件、 六月十二日 氏真 判 鵜殿十郎三郎殿 →戦国遺文 今川氏編1546「今川氏真感状写」(鵜殿系図 …
今川氏真文書にて、撤兵時の岡部五郎兵衛尉が水野藤九郎を討ち取ったことが記載されている。この人物は織田信長文書にも登場する。「当年自何方無到来候之処」とあることから、その年の9月15日になるまで、どこからも贈物がなかった …
参河国衣領之内ニ蔵分百参拾参貫文之替地之事 右、今度衣衆等彼地依出置之、為其替地同国和田郷・同吉田郷都合百三拾三貫文分也、但和田郷代方之内弐貫文余者、自余江出置之条除之、其外者吉田奉行人如相談、可令所務、因茲彼帳面等所加 …
永禄三年五月八日 宣旨 治部大輔源義元 宜任参河守 蔵人頭 永禄三年五月八日 宣旨 従五位下源氏実 宜任治部大輔 蔵人頭 口宣二枚 五月八日 右大弁 進上広橋大納言殿