久不能音問候、抑近年對駿州被企逆意ノ由、誠以歎敷次第候、就之自駿府當方へ出陣ノ儀承候間、氏康自身出馬據歟、■州閣■敵、於三州弓矢無所詮候、去年來候筋日(目)駿三和談念願、就中三悪(亜)相如(御)筋(物)語ハ、就彼調被成下京都下知、當國ヘモ被丶書由、各御面目到候哉、松平方へ有意見、早ゝ落着候様、偏ニ其方可有馳走候、委細口上申含候間、令省略候、恐々謹言、

五月朔日

氏康(花押)

水野下野守殿

→戦国遺文・北条編700 「小田原編年附録四」

久しくご連絡していませんでした。近年今川氏に逆意を企てたのは、本当に嘆かわしいことです。このため、今川氏から私に出陣の依頼を受けました。氏康自身が出馬してしまおうか、と思っています。
『■州』(美濃?)の敵をさしおき、三河においての紛争をするのはつまらないことです。去年の筋目で駿河・三河の和睦を念願します。とりわけ三条大納言(実澄)の仰ることには、あの調整について京都がご命令を発し、当国にも文書が書かれたとのこと。それぞれの面目があるものでしょうか。松平氏に意見をし、早々に事態を収束させるためには、あなたが動き回ることが大事です。細かい事は使者に申し含めていますので、省略しています。

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2 comments untill now

  1. 左京大夫 @ 2007-12-16 19:09

    なぜ三条大納言て分かるのですか?

  2.  コメントありがとうございます。
     この書状は欠字もあって非常に微妙なのですが、『三悪相』の文字をどう読むかがポイントになります。そのままだと意味不明ですが、その後に「京都からの下知」と書かれていることから、足利義輝が北条・今川・武田の各氏に出した「三河と駿河の紛争を解消せよ」という書状とリンクしている可能性が考えられます。そこで、悪=亜の当て字だと推測します(この時代、正規の文書でも平気で当て字を使うので)。亜相は大納言の別称です(唐名)。官職名の前に名前の先頭を振るのもよくあるので、『三~』という名前の大納言だと判ります。この時代の大納言では、三条西実澄という人物がいて、駿河や相模をよく訪れていました。
     足利義輝の書状にも「三条大納言を派遣する」と書かれていますから、まず間違いのないところだと判断できます。
     ご参考になりましたか? 他にも不明な点がありましたら、お気軽にコメントを下さい。

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