今川氏真、紀伊国熊野新宮に分国中の門前勧進を認める
(今川氏真花押) 分国中門前勧進之事 右、任先判形之旨、発起次第可被勧之由、領掌不可有相違者也、仍如件、 永禄元年 戊午 十月十七日 熊野新宮 庵主 →静岡県史資料編7 「今川氏真判物」(梅本文書) 分国中の門前で …
(今川氏真花押) 分国中門前勧進之事 右、任先判形之旨、発起次第可被勧之由、領掌不可有相違者也、仍如件、 永禄元年 戊午 十月十七日 熊野新宮 庵主 →静岡県史資料編7 「今川氏真判物」(梅本文書) 分国中の門前で …
(今川義元花押) 分国中門別勧進之事 右、只今之事者、参州出軍之条、於静謐之上、発起次第可被勧之旨領掌了、仍如件、 弘治二年 二月廿九日 熊野新宮庵主 →静岡県史資料編7 「今川義元判物」(梅本文書) 分国中で門別での …
但、今切渡相定船賃可有之、 此参宮道者四拾余人、不及諸関船賃之沙汰、路次無相違可通過之者也、仍如件、 天文廿二年 閏正月十一日 諸関 駿遠参 渡守中 →静岡県史資料編7 「今川義元通行手形」(植松雄峰氏所蔵文書) …
今度尾州へ出陣ニ、具足・馬以下嗜之間、自当年千疋充可遣之、弥成其嗜可走廻者也、仍如件、 天文十九年 庚戌 八月廿日 植松藤太郎殿 →静岡県史「葛山氏元朱印状」 今度尾張国に出陣するに当たり、具足と馬の用意をするため、今 …
「(端書(切封墨引))」 事長ゝ敷申様雖如何候、遠路御尋之義候条、如此候、 如仰、杳絶音問候処、急與示預、本望候、 一其表之儀、本庄逆心付而、去初冬ヨリ御在陣、至只今無手透被取結、外廻輪悉被為破(扌+却)、落居不可有程之 …
1522(大永2)年 刈谷 此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。 常滑 尾張知多郡常滑、水野紀三郎宿所、一日。野間と云所、義朝の廟あり。 1524(大永4)年 亀山 …
去月十七日、三州名倉於舟渡橋、岩村人数出張候処、敵山内采女か被官後藤三右衛門討捕之、同類之被官加藤甚四郎討捕之、同山本甚兵衛被疵一ヶ所、中村彦次郎蒙疵神妙之至也、弥可抽戦功之由、可申付候状如件、 永禄元年六月二日 義元判 …
野間大御堂寺従前代雖為守護不入、猶以御理之儀候条、一円令免許上者、諸役等寺中之竹木夫以下此外於向後も申事有間敷者也仍状如件 元亀三年 壬申 十月十八日 水野十郎左衛門尉 柿並 寺中参 是後ノ十郎左衛門也 元藤四郎元茂ト云 …
官途之儀、監物丞可然候、猶晴直可申也 八月廿三日 (義輝花押) 水野監物丞とのへ →東浦町誌「足利義輝官途挙状」 官途のこと、監物丞がふさわしいでしょう。さらに晴直が申し上げます。
奉寄進大渓堅雄禅定門日霊供田事 元青山土佐給田、市舛ニ四俵成 一壱石目 坪池田 小作職共ニ 畑是も土佐給の畑 庚戌年ハ小作こうや源次郎ニ三百文ニ申付候間 三百文可有御納所候、百文ハ此方より可参候 一四百文目 坪本苅屋南 …