奉寄進大渓堅雄禅定門日霊供田事

元青山土佐給田、市舛ニ四俵成

一壱石目 坪池田 小作職共ニ

畑是も土佐給の畑 庚戌年ハ小作こうや源次郎ニ三百文ニ申付候間

 三百文可有御納所候、百文ハ此方より可参候

一四百文目 坪本苅屋南

 前ハ五百文目にて当年始而

 世上売買下値直ニ付而如此候

 以後ハ畑を御見セ候て、いか程ニも

 可被仰付候

畑是も土佐引跡新畑ニ而候

一四百文目 坪せき

 是も五百文めにて候を、四百文ニ付進入候

 以後ハ其方よりいか程ニも可被仰付候

畑是ハ丹羽弥六郎給の内にて

一弐百文目 坪六枚畑の内 小作小嶋三郎右衛門入道

  田合壱石目

  畑合壱貫文目

右此年貢米を五俵宛納所申候、当年より此分小作職共ニ渡申所如件

水野藤九郎代牛田源五 守次(花押)

天文十九年 庚戌

三月六日

陵厳寺御長老忍浦様 参

→東浦町誌「水野藤九郎代牛田守次寄進状写」

 大渓堅雄禅定門日霊へ供するため寄進する田のこと。元青山にある土佐守の給田、市で規定した枡でニ四俵となります。
 一、1石は池田の土地で小作職込み。畑も土佐守の給畑です。庚戌年は小作人『こうや源次郎』に2~300文で申し付けていました。300文はお納めいただき、100文はこちらから参らせます。
 一、400文は本苅屋南の土地。前は500文で今年始めましたが、今のご時世地価の相場が下がって、このような値下がり具合です。以降は畑を実見していただいて、どのようなご意見でも仰せになって下さい。この畑も土佐守の新畑でした。
 一、400文は『せき』の土地。ここも500文だったものが400文でお渡しすることとなりました。以後はあなたからどのようにも仰せになって下さい。畑は丹羽弥六郎の知行からです。
一、200文は六枚畑の内の土地。小作は小嶋三郎右衛門入道。田は合わせて1石、畑は合わせて1貫文。
 右の年貢米を五俵宛で納めます。当年よりこの分は小作職ともにお渡しします。

Trackback

no comment untill now

Sorry, comments closed.