「(端書(切封墨引))」
事長ゝ敷申様雖如何候、遠路御尋之義候条、如此候、
如仰、杳絶音問候処、急與示預、本望候、
一其表之儀、本庄逆心付而、去初冬ヨリ御在陣、至只今無手透被取結、外廻輪悉被為破(扌+却)、落居不可有程之由、珍重候、就其伊達・会津相頼、令懇望由承候、左候者、在赦免可然候歟、御思慮此節候、
一駿甲取合之義、尋承候、信州通路一円依無之、慥成儀不相聞候、乍去、当口沙汰之躰、武田信玄以調義、駿府へ被相働、悉放火候、今川氏真遠江之内懸河之地入城之由候、然処、北条氏政為後結被相働、甲府ヨリ通路取切、在陣之衆令難儀候間、新道ヲ切、雖通融候、曽而不自由之由候、近日之取沙汰、武田信玄紛夜被入馬候間、敗北之由候、東美濃遠山人数少ゝ立置候、彼者共帰陣候而、申鳴分如此候、必定歟、
一岐阜・甲州挨拶之義、甲府ヨリ使者付置、可有入魂由候、其子細者、対駿州織弾忠遺恨在之事候間、面向可為此一義候、奥意敦熟之義、不可有之歟、貴辺之義者、不被混善悪、被対岐阜、無御等閑躰可然候、別而申通事候条、不残心底申事候、
一京都合戦之義、自是差上候使者、一両日以前下国候、旧冬及月迫、諸牢人出張候而、泉州之内家原之地、三好左京兆拘候ヲ、出衆責崩、正月四日京表へ相働、公方様御座所六条へ責入候、左候処、 上意於御手前数度被及御一戦候、摂州之住池田・伊丹為御味方、西岡表へ相働候所ヲ、三好三人衆切懸、即時両人之衆切崩処ニ、 上意被寄御馬、御自身被切懸候ヘハ、天罰候哉、随分之者共悉被討捕、其尽敗北候、不移時日織弾忠被走参、五畿内之義不及申、四国・中国迄無残所属御存分、諸大名在洛之由候、当分者、 上意御座所之普請被申付、漸出来之由候、泉州堺之義、今度牢人仕立候間、可有発向之処、向後牢人衆許容有間敷之由、色ゝ詫言付而、宥免候、寔奇妙之仕立、不及是非義候、
一切ゝ可申通処、去年及両度、以使者令申候処、越中金山在不審、中途ヨリ差返候、不及兎角候キ、路次不成合期故、万端疎意之躰、失本意候処、遠路猶以示預、快然此事候、旁期来信候条、不能詳候、恐々謹言、
二月廿七日
良頼(花押)
山内殿
※神奈川県史では1569(永禄12)年に比定。また、村上文書に同日付、村上国清充良頼書状があるが、ほとんど同内容のものなので省略したという。
→神奈川県史「三木良頼書状」(上杉文書)
長々と申し上げるのもいかがかと思いましたが、遠路お尋ねいただきましたことも考えこのように申し上げます。
ご連絡途絶えておりましたところ、急にお便りいただき本望に思います。
一、その表の事ですが、本庄繁長が謀叛して冬の初めよりご在陣、今に至るまで隙もなく攻勢をかけられて外郭を悉く破却、落城まで程ないだろうと聞きました。珍重です。本庄は伊達・会津(蘆名盛興)を頼って懇望している事も聞きました。このような状況であれば、赦免があって然るべきでしょうか。ご思慮あるならこの時です。
一、駿河と甲斐の紛争をお尋ねでした。信濃の通路一円はなく、確実な事柄は何も聞いていません。さりながら、こちらで話されている内容を伝えます。武田信玄は調略を使って駿府へ攻め込み、悉く放火した。今川氏真は遠江国掛川の地に入城。そうしたところ北条氏政がその後詰として出動し、甲府への通路を占拠し、在陣の衆を難儀させました。新道を切り通して通行していたのですが色々と不自由しており、最近の話では武田信玄が夜間移動したところ敗北したそうです。東美濃の遠山氏が少しの軍を派遣しており、彼らが帰還して話している内容だそうですから、確実かも知れません。
一、岐阜と甲州が挨拶を交わした件。甲府より使者が到達し、親しくしてほしいと申し入れたそうです。その詳細は、駿河に対して織田弾正忠が遺恨を持っているので、面と向かってこの一義をなすべく、心の奥で熟考していること、ない訳でもないのでしょうか。あなたのことは、好悪両方が混ざっていました。岐阜に対して等閑にすることのないようしなければ。特別に申し上げる事もあり、心底残さず申している事です。
一、京都の合戦の事。これより差し上げた使者は、一両日前に下国した者です。前の冬から年末まで諸牢人が出動しており、三好左京兆が占拠していた和泉国の家原の地を、出動した衆が攻め崩して1月4日に京都方面へ移動、将軍の御座所である六条に攻め入りました。そうなったところ、上意にてお手前で数度合戦に及び、摂津国の池田氏・伊丹氏が味方となって西岡方面へ出撃したところを、三好三人衆が切りかかり、即時に両氏の部隊が切り崩されました。ところが将軍が馬を寄せられてご自身で切りかかり、天罰でしょうか、たくさんの者が悉く討ち取られました。敗北し尽くしました。時日を移さず織田弾正忠が急行して、畿内は申すに及ばず、四国・中国まで残すところなく味方にして、諸大名は京都に当面滞在するようにしています。将軍の御座所を普請するよう命令し、ようやく出来上がったとのことです。和泉国堺の事、今度の牢人を仕立てたということで、出陣しようとしたところ、今後は牢人を許容しませんという陳情を色々と言ってきましたので、許したということです。本当に奇妙な仕立てで、是非に及びません。
一、切れ切れにご連絡しているところ、去年は2回にわたり使者をもってご連絡していたところ、越中金山(神保氏)に不審な言動があり、途中から引き返してきました。どうしようもなく、通行に都合がつかず色々と疎意となっています。本意ではありませんが、遠路なおもご連絡をいただき、嬉しいのはこのことです。次のお便りを期しておりますので、詳細は申せません。