野間大御堂寺従前代雖為守護不入、猶以御理之儀候条、一円令免許上者、諸役等寺中之竹木夫以下此外於向後も申事有間敷者也仍状如件
元亀三年 壬申 十月十八日
水野十郎左衛門尉
柿並
寺中参
是後ノ十郎左衛門也
元藤四郎元茂ト云
→東浦町誌「水野藤十郎左衛門尉判物 柿並寺中宛」
野間大御堂は前の代から守護不入といえども、さらに許諾がほしいとのことで、一円は免許する。諸々の課役と寺内の竹や木、人夫以下このほかのことは今後も申すことはあってはならない。
野間大御堂寺従前代雖為守護不入、猶以御理之儀候条、一円令免許上者、諸役等寺中之竹木夫以下此外於向後も申事有間敷者也仍状如件
元亀三年 壬申 十月十八日
水野十郎左衛門尉
柿並
寺中参
是後ノ十郎左衛門也
元藤四郎元茂ト云
→東浦町誌「水野藤十郎左衛門尉判物 柿並寺中宛」
野間大御堂は前の代から守護不入といえども、さらに許諾がほしいとのことで、一円は免許する。諸々の課役と寺内の竹や木、人夫以下このほかのことは今後も申すことはあってはならない。