於去年高橋衆任兼約之旨、佐久間九郎左衛門切候、依其忠節、竹千代大浜之内藤井隼人名田之内五千疋、扶助之云々、抽粉骨之上者、永不可有相違者也、仍如件、

天文十九

十一月十三日

治部大輔 在判

天野孫七郎殿

→静岡県史「今川義元判物写」

 去年高橋衆と交わした約束により、佐久間九郎左衛門を切りました。その時の忠節により、竹千代の大浜領のうち、藤井隼人の名田から5000疋(50貫文)を拠出するとのこと。ぬきんでた活躍をした上は、末永く相違ありません。

参河国奥郡野田郷一円代官職之事、散田共ニ、

一就長沢在城、惣員数之内弐百五十貫文、為給恩可引取之事

 付、此内五十貫文与五右衛門尉ニ宛行之、

一為不入申付上者、諸課役并吉田之原普請人足等停止之、長沢之城中普請無油断可申付、彼地百姓等并他被官以下、対代官於存譴意者、遂糾明理非落着之上可令改易之事

一親類・同心等構述懐就付他者、如法度給分等召放、別人江長能可申付之事

右、三州吉田以来田原本意之上迄、異于他励粉骨之条、忠功之至也、然上長沢在城所申付也、根小屋・あき屋敷等長能被官等可置之、并竹木諸普請之具人足等、如前々長沢郷中■可申付、但彼城就上表者、野田代官職共可令上表也、弥可抽奉公之状如件、

天文二十年

七月四日

治部大輔判

匂坂六右衛門尉殿

→静岡県史「今川義元判物写」

 三河国奥郡野田郷一円の代官職について(散田含む)。長沢城駐屯について、総計250貫文を給地として引き取るように。このうち50貫文は与五右衛門尉に給付すること。不入権のある者は諸作業と吉田之原普請は免除する。長沢城中の普請は油断なく行なうこと。在地の百姓・被官で代官に反抗する者があれば、事の詳細を検討して処分するように。親類・同心で反抗する者は法律に照らし合わせて解雇し、別人を長能が任命すること。このことは、三河国吉田以来、田原で本意を遂げるまで、他と異なり活躍に励み忠功の至りである。そこで長沢への駐屯を命じる。城下町・空き家などに長能の被官を置くこと。建築材や作業夫は以前から長沢郷に申し付けている。但しあの城の上表する場合は野田代官職と一緒に上表すること。ますます奉公に励むように。

就西尾在城参百貫文之分、所宛行之也、昼夜用心普請已下、無油断先二三ヶ年可遂在城、末々之儀者、至于其時可申付、然者自余之番衆、就有無沙汰者、急度可加異見者也、仍如件、

弘治参年丁巳

十月九日

治部大輔(花押)

三浦左京亮殿

→静岡県史「今川義元判物写」(三浦文書)

西尾城番について300貫文を所領として給付する。昼夜用心して普請し、油断なく2~3年在城するように。細々したことは随時指示するように。であるから、城番衆が無沙汰にしているなら、取り急ぎ意見を加えるように。

一向寺部可取出之旨領掌訖、然者寺部城領半分令扶助間、山林野河共半分内者可令支配之、縦敵味方内雖有買得之地、不可及其沙汰事

一来年末三月中迄彼城無落居相支、其上以惣人数雖攻落之、既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条、寺部分限員数内参ヶ壱可令扶助之、但三月以後茂長能以計策彼城就令落居者、右ニ如相定半分儀不可有相違事

一広瀬領償之儀一円可申付、但年来伊保梅坪表江令扶助分者可除之、雖然今度寺部逆心之刻、改申付償之事者、一円長能可相計之事

一鱸日向守并親類被官不可及赦免、伯彼者以忠節知行就令還附者、今度取出為粉骨之条、其褒美之儀者一廉可申付、

一於野田郷令扶助弐百五十貫文之分、雖有参州惣次之引、今度成取出走廻之間、不準間(自?)余不可有其引事

右、吉田并田原以来前々走廻、殊今度之取出、以一身覚悟、矢楯兵粮以下迄自面之失墜令奉公之条、甚為忠節之間、相定条々不可有相違、本知新知共自然可有増分之旨有訴人就申出者、為先訴人相改可所務、然者寺部知行案堵之上、相止番手如年来之以自力可在城于岡崎之旨、神妙之至也、此旨永不可在相違之状如件、

弘治四 戊午

二月廿六日

治部大輔 判

匂坂六右衛門尉殿

→静岡県史「今川義元判物写」

一、寺部城に対抗する砦を築造した件は了承した。寺部領の半分を賦与する。山林、野原、河川も半分を支配せよ。たとえ敵味方の所有権が混在しても、関知しなくてよい。

一、来年(未)3月中まであの城を落とすことなく支えて、その上(長能のほかも含めた)全部隊で城を落としたとしても、砦築造で既に兵糧そのほか支出がかさんでいるだろうから、寺部領の収益から1/3を与える。ただし3月以後であっても長能が作戦を使って落城させるならば、前項で定めた通り半分の領地を与えることは相違ない。

一、広瀬領の補填のことは、包括的に委託する。但し、伊保と梅坪で前から与えている分については除外する。とはいえ、この度寺部が反逆したことを受け、改めて包括的に長能が処理することを申し付ける。

一、鱸日向守と親類、家臣は許してはならない。ただし彼らが忠節を尽くすならば還付してもよい。この度は砦築造で奔走したようなので、褒美のことは特例として申し付ける。

一、野田郷において与えた250貫文については、三河国全体で決まっていることととはいえ、この度砦築造で奔走したしたので課税を控除する。

右のことは、吉田と田原以来前々より奔走し、殊にこの度の砦の件も鑑みて、一身の覚悟をもって、武器・兵糧も自前で奉公している。素晴らしい忠節なので、ここに定めた条文は相違ない。本領・新領地ともに増産があったと訴える者があれば、改めて裁許する。寺部領の知行は安堵した上で、番手を止めることとする。年来自前で勤めている岡崎城番のことは、神妙の至りである。この旨は永く相違ない。

就今度岡崎在城、長能・宗光両人江弐百五十貫文■令扶助之也、然者糟屋備前守同前諸事可走廻、同心参人之切符扶持、如相定毎年可請取之、其外当年令高名同心四人切符弐十五貫文、為新給領掌訖、年来無足奉公之由申之条所宛行之也、若於彼等同心相放者別人可入替、奥郡野田郷代官職・散田方共不可有相違、野田替米之事、毎年於当地可請取之、数年奉公神妙之至也、弥可抽忠功者也、仍如件、

天文廿三

十一月二日

治部大輔判

匂坂六右衛門尉殿

→静岡県史「今川義元判物写」

 この度の岡崎城番に当たって、長能と宗光の両人に250貫文を配賦するので、糟屋備前守と同じく活躍するように。同心3人の給与も付与するので、定められた通り毎年受領するように。そのほか今年功績のあった同心4人の給与25貫文を新給与として任せる。年来無給で奉公していると申請があったので給与する。もし同心を解任したら別に人を立てるように。奥郡野田郷の代官職と散田方とも相違なく、野田の替え米のことは毎年当地にても受け取るように。数年にわたる奉公は素晴らしいものだ。いよいよ忠功に励むように。

智多郡并篠島商人当所守山往反事、国質・郷質・所質并前々喧嘩、或如何様之雖有宿意之儀、不可違乱候、然者不可致敵味方者也、仍状如件、

天文廿壱

信長(花押)

大森平右衛門尉殿

→愛知県史 資料編10「織田信長判物写」(古今消息集 四)

 知多郡と篠島の商人が当所と守山の間を往復のこと。『国質』・『郷質』・『所質』、並びに前々の喧嘩、その他どのような恨みがあるとしても、妨げてはならない。ということで、事を構えないように。

当知行之内、北矢部并三吉名之事

右父玄忠隠居分、先年分渡云々、然者玄忠一世之後者、元信可為計、若弟共彼隠居分付嘱之由、雖企訴訟、既為還付之地之条、競望一切不可許容、并弟両人割分事、元信有子細、近年中絶之刻、雖出判形、年来於東西忠節、剰今度一戦之上、大高・沓掛雖令自落、鳴海一城相踏于堅固、其上以下知相退之条、神妙至也、因茲本領還付之上者、任通法如前之陣番可同心、殊契約為明鏡之間、向後於及異義者、如一札之文言、元信可任進退之意之状如件

永禄三 庚申 年

九月朔

氏真 判

岡部五郎兵衛尉殿

→豊明市史 「今川氏真判物写」

 当知行のうち、北矢部と三吉名について。右は父親である玄忠の隠居分である。先年分与したと言われている。だが玄忠の後継者は元信だけとするように。もし弟たちが隠居分の付嘱(譲渡)について訴訟を企てようとも、既に還付地となったので、競望は一切許容しない。並びに弟二人に分割したことは、元信が事情により近年絶縁となった際に判形を発行したものであるとはいえ、以前より東西で忠節があり、その上今度の一戦では、大高と沓掛が自ら陥落したとはいえ、鳴海城だけは堅固に踏みとどまった。指示をもって退いたのは神妙である。このことから還付する上は、通法のように陣番を勤め同心するように。殊に契約は明確であり、今度異義を申し立てる者があれば、この文言のように元信の進退の意図に任せるように 。

参河国衣領之内ニ蔵分百参拾参貫文之替地之事

右、今度衣衆等彼地依出置之、為其替地同国和田郷・同吉田郷都合百三拾三貫文分也、但和田郷代方之内弐貫文余者、自余江出置之条除之、其外者吉田奉行人如相談、可令所務、因茲彼帳面等所加印判也、兼又於度々令忠節之間、彼替地之儀於三河国中令扶助畢、守此旨弥可励忠功之状如件、

永禄 庚申 年

十二月十一日

氏真

大村弥右兵衛殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」(御家中諸士先祖書)

三河国挙母領のうちに蔵分とした133貫文の替地のこと。右のことは、今度挙母衆に拠出していた。その替地とするのは三河国和田郷と吉田郷での合計133貫文をとする。但し和田郷代方の内2貫文余りは他の者へ拠出しているので除外する。その他は吉田の奉行人に相談し統治するように。そのように、懸案の書類に押印した。度々の忠節を考慮して、あの替地の件は三河国を挙げて補助しているものである。この旨を守り、ますます忠功に励むように。

遠江国山名郡石野小野田村之事

右、今度福島彦次郎構逆心、各親類・同心以下令同意処、存代々奉公之忠信、最前馳参之条、甚以粉骨之至也、因茲当知行如前々不可有相違、併遠江国中紺掻役事、除近年朝比奈左京亮所務分宛行畢、但、於有闕所者、可令扶助、何任先判之旨永領掌訖、守此旨弥可抽忠節之条如件、

永禄三 庚申

八月三日

氏真 判

本間兵衛五郎殿

→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」(本間佐渡守季道家文書)

 今度福島彦次郎が反逆を企て、親類や部下が皆同意していたところ、代々奉公の忠心から馳せ参じて活躍をした。そのため、ここに本領を安堵する。併せて、遠江国の紺掻役のこと、近年朝比奈左京亮が得た所務は除外する。但し、空いた領地があれば給付する。いずれにしても先例に則って執行する。この旨を守っていよいよ勤務に励むように。

当知行分之事

一所 鎌田原

一所 庄安西之内芝

一  弐拾七石九斗

一  拾九石余

一  四拾俵

一  定夫

以上

右者、五月十九日於尾州天沢寺殿御討死之刻、父輝以無比類令討死段甚以忠節之至也、因茲任先判形之旨、当知行分并代官所永不有相違、自然代官之地自余之輩尓雖出置之、既為討死之跡上者、代官分其改替之儀可出置之、然者於市部郷令所務、弐拾七石五斗分ハ、彼郷諸損免雖有之、不可有其引立旨、是又所任先判形也、守此旨弥可励忠抽之状、仍如件、

氏真(花押影)

永禄三 庚申 年 七月晦日

平野鍋松殿

→愛知県史 資料編11 「今川氏真判物写」(今川家瀬名家記一)

 現在の所領のこと。(所領一覧略)
 右は、5月19日に尾張国で天沢寺殿(今川義元)が討ち死にした際、あなたの父親の輝以は比類のない忠義を尽くして討ち死を遂げたことは忠節の至りである。よって、先の判形の旨により、当知行と代官所のことは末永く相違ないように。万一、代官の地が他人に出置かれたとしても、既に討ち死にした者の相続地であるから、代官分は改めて出し置くこと。ということで市部郷の徴税させる。27石5斗分が郷の損害控除であるとはいえ、その引き立てがあってはならない。これもまた先の判形に任せる。この旨を守り、いよいよ忠義に励むように。