就西尾在城参百貫文之分、所宛行之也、昼夜用心普請已下、無油断先二三ヶ年可遂在城、末々之儀者、至于其時可申付、然者自余之番衆、就有無沙汰者、急度可加異見者也、仍如件、
弘治参年丁巳
十月九日
治部大輔(花押)
三浦左京亮殿
→静岡県史「今川義元判物写」(三浦文書)
西尾城番について300貫文を所領として給付する。昼夜用心して普請し、油断なく2~3年在城するように。細々したことは随時指示するように。であるから、城番衆が無沙汰にしているなら、取り急ぎ意見を加えるように。
就西尾在城参百貫文之分、所宛行之也、昼夜用心普請已下、無油断先二三ヶ年可遂在城、末々之儀者、至于其時可申付、然者自余之番衆、就有無沙汰者、急度可加異見者也、仍如件、
弘治参年丁巳
十月九日
治部大輔(花押)
三浦左京亮殿
→静岡県史「今川義元判物写」(三浦文書)
西尾城番について300貫文を所領として給付する。昼夜用心して普請し、油断なく2~3年在城するように。細々したことは随時指示するように。であるから、城番衆が無沙汰にしているなら、取り急ぎ意見を加えるように。