当知行之内、北矢部并三吉名之事

右父玄忠隠居分、先年分渡云々、然者玄忠一世之後者、元信可為計、若弟共彼隠居分付嘱之由、雖企訴訟、既為還付之地之条、競望一切不可許容、并弟両人割分事、元信有子細、近年中絶之刻、雖出判形、年来於東西忠節、剰今度一戦之上、大高・沓掛雖令自落、鳴海一城相踏于堅固、其上以下知相退之条、神妙至也、因茲本領還付之上者、任通法如前之陣番可同心、殊契約為明鏡之間、向後於及異義者、如一札之文言、元信可任進退之意之状如件

永禄三 庚申 年

九月朔

氏真 判

岡部五郎兵衛尉殿

→豊明市史 「今川氏真判物写」

 当知行のうち、北矢部と三吉名について。右は父親である玄忠の隠居分である。先年分与したと言われている。だが玄忠の後継者は元信だけとするように。もし弟たちが隠居分の付嘱(譲渡)について訴訟を企てようとも、既に還付地となったので、競望は一切許容しない。並びに弟二人に分割したことは、元信が事情により近年絶縁となった際に判形を発行したものであるとはいえ、以前より東西で忠節があり、その上今度の一戦では、大高と沓掛が自ら陥落したとはいえ、鳴海城だけは堅固に踏みとどまった。指示をもって退いたのは神妙である。このことから還付する上は、通法のように陣番を勤め同心するように。殊に契約は明確であり、今度異義を申し立てる者があれば、この文言のように元信の進退の意図に任せるように 。

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