一向寺部可取出之旨領掌訖、然者寺部城領半分令扶助間、山林野河共半分内者可令支配之、縦敵味方内雖有買得之地、不可及其沙汰事

一来年末三月中迄彼城無落居相支、其上以惣人数雖攻落之、既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条、寺部分限員数内参ヶ壱可令扶助之、但三月以後茂長能以計策彼城就令落居者、右ニ如相定半分儀不可有相違事

一広瀬領償之儀一円可申付、但年来伊保梅坪表江令扶助分者可除之、雖然今度寺部逆心之刻、改申付償之事者、一円長能可相計之事

一鱸日向守并親類被官不可及赦免、伯彼者以忠節知行就令還附者、今度取出為粉骨之条、其褒美之儀者一廉可申付、

一於野田郷令扶助弐百五十貫文之分、雖有参州惣次之引、今度成取出走廻之間、不準間(自?)余不可有其引事

右、吉田并田原以来前々走廻、殊今度之取出、以一身覚悟、矢楯兵粮以下迄自面之失墜令奉公之条、甚為忠節之間、相定条々不可有相違、本知新知共自然可有増分之旨有訴人就申出者、為先訴人相改可所務、然者寺部知行案堵之上、相止番手如年来之以自力可在城于岡崎之旨、神妙之至也、此旨永不可在相違之状如件、

弘治四 戊午

二月廿六日

治部大輔 判

匂坂六右衛門尉殿

→静岡県史「今川義元判物写」

一、寺部城に対抗する砦を築造した件は了承した。寺部領の半分を賦与する。山林、野原、河川も半分を支配せよ。たとえ敵味方の所有権が混在しても、関知しなくてよい。

一、来年(未)3月中まであの城を落とすことなく支えて、その上(長能のほかも含めた)全部隊で城を落としたとしても、砦築造で既に兵糧そのほか支出がかさんでいるだろうから、寺部領の収益から1/3を与える。ただし3月以後であっても長能が作戦を使って落城させるならば、前項で定めた通り半分の領地を与えることは相違ない。

一、広瀬領の補填のことは、包括的に委託する。但し、伊保と梅坪で前から与えている分については除外する。とはいえ、この度寺部が反逆したことを受け、改めて包括的に長能が処理することを申し付ける。

一、鱸日向守と親類、家臣は許してはならない。ただし彼らが忠節を尽くすならば還付してもよい。この度は砦築造で奔走したようなので、褒美のことは特例として申し付ける。

一、野田郷において与えた250貫文については、三河国全体で決まっていることととはいえ、この度砦築造で奔走したしたので課税を控除する。

右のことは、吉田と田原以来前々より奔走し、殊にこの度の砦の件も鑑みて、一身の覚悟をもって、武器・兵糧も自前で奉公している。素晴らしい忠節なので、ここに定めた条文は相違ない。本領・新領地ともに増産があったと訴える者があれば、改めて裁許する。寺部領の知行は安堵した上で、番手を止めることとする。年来自前で勤めている岡崎城番のことは、神妙の至りである。この旨は永く相違ない。

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