参河国奥郡野田郷一円代官職之事、散田共ニ、

一就長沢在城、惣員数之内弐百五十貫文、為給恩可引取之事

 付、此内五十貫文与五右衛門尉ニ宛行之、

一為不入申付上者、諸課役并吉田之原普請人足等停止之、長沢之城中普請無油断可申付、彼地百姓等并他被官以下、対代官於存譴意者、遂糾明理非落着之上可令改易之事

一親類・同心等構述懐就付他者、如法度給分等召放、別人江長能可申付之事

右、三州吉田以来田原本意之上迄、異于他励粉骨之条、忠功之至也、然上長沢在城所申付也、根小屋・あき屋敷等長能被官等可置之、并竹木諸普請之具人足等、如前々長沢郷中■可申付、但彼城就上表者、野田代官職共可令上表也、弥可抽奉公之状如件、

天文二十年

七月四日

治部大輔判

匂坂六右衛門尉殿

→静岡県史「今川義元判物写」

 三河国奥郡野田郷一円の代官職について(散田含む)。長沢城駐屯について、総計250貫文を給地として引き取るように。このうち50貫文は与五右衛門尉に給付すること。不入権のある者は諸作業と吉田之原普請は免除する。長沢城中の普請は油断なく行なうこと。在地の百姓・被官で代官に反抗する者があれば、事の詳細を検討して処分するように。親類・同心で反抗する者は法律に照らし合わせて解雇し、別人を長能が任命すること。このことは、三河国吉田以来、田原で本意を遂げるまで、他と異なり活躍に励み忠功の至りである。そこで長沢への駐屯を命じる。城下町・空き家などに長能の被官を置くこと。建築材や作業夫は以前から長沢郷に申し付けている。但しあの城の上表する場合は野田代官職と一緒に上表すること。ますます奉公に励むように。

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