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徳川家康、岡崎城に立てこもる

 一、家康は、岡崎の城へ楯籠り、御居城なり。  一、翌年四月上旬、三州梅ヶ坪の城へ御手遣り推し詰め、麦苗薙ぎせられ、然して、究竟の射手ども罷り出で、きびしく相支へ、足軽合戦にて、前野長兵衛討死侯。爰にて平井久右衛門よき矢 …

経過報告02:史料の精査

 今川氏から見た桶狭間に関しては、ほぼ史料を網羅できたと自負している。但し、1559(永禄2)年以前の三河・尾張の状況に関しては、2009年6月刊行予定の愛知県史資料編10を待つよりない。この史料の入手によって、松平・織 …

王代記 明応年間記述

同七年戊午八月伊豆ノ御所腹切玉ヘリ。伊勢早雲御敵ニテ。 →戦国史研究27号『堀越公方滅亡の再検討』家永遵嗣  1498(明応7)戊午年8月、伊豆の御所(足利茶々丸)が切腹された。伊勢早雲(宗瑞)と敵対されて。