今川氏真、天野小四郎に、知行安堵を伝える
[懸紙ウハ書]「■■小四郎殿 氏真」 遠江国犬居山中当知行分并宇奈代官職之事 右、任先判形之旨停止他異論、如前々永不可有相違、藤秀幼少之時、同名安芸守犬居三ケ村一円相計之旨申掠、天沢寺判形数通有之云々、雖然藤秀知行分代官 …
[懸紙ウハ書]「■■小四郎殿 氏真」 遠江国犬居山中当知行分并宇奈代官職之事 右、任先判形之旨停止他異論、如前々永不可有相違、藤秀幼少之時、同名安芸守犬居三ケ村一円相計之旨申掠、天沢寺判形数通有之云々、雖然藤秀知行分代官 …
去十月、於嶋田取出城、自身粉骨并同名被官人等、無比類御動、其上各乗崩、頭二討捕、此外切捨数多有之由、甚以感悦也、然者同名助次郎与黒谷半六者、相討之段神妙也、同兵藤五郎大夫頭一討捕之旨、是又無比類、弥可抽忠功之旨、可申付之 …
2013年2月4日、世界中を驚かす速報が流れた。前年9月に英国レスターのとある駐車場から発掘された人骨が、1485年8月22日に32歳で戦死したイングランド王リチャード三世だと確定されたというのだ。この年ボズワース・フィ …
長篠之儀、自其地別而馳走喜悦候、此時弥無由断堅固之様可走廻事専要候、当国一途之条、近日向三州人数申付之間、可心安候、委細酒井右京進・朝比奈八郎兵衛尉申候也、謹言、 十月十六日 氏真(花押) 鈴木三郎大夫殿 →戦国遺文 …
去九月三州江酒井右京進為使指遣之処、令同心、同十日嵩山於宿城最前塀ニ付合鑓、無比類相動之旨、甚以感悦之至也、弥可励忠功之状、仍如件、 永禄四年 十月八日 氏真(花押) 伊久美六郎右衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1756 …
去五月四日夜宇利調儀之刻、城中江最前乗入鑓合致励罷退云々、甚以神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄四年 十月八日 氏真(花押) 朝比奈助十郎殿 →戦国遺文 今川氏編1755「今川氏真感状」(朝比奈文書) 去る5月4日夜 …
去九日、岡崎人数相動之処、及一戦即切崩、随分之者八人被討捕之由、雖不始候、無比類動祝着候、猶各可申候、恐々謹言、 八月十二日 氏真(花押) 鵜殿藤大郎殿 →戦国遺文 今川氏編1734「今川氏真書状」(茨城県立歴史館所蔵 …
一 小法師殿、本知行不可有相違之事 一 今度一味之衆進退、不可有無沙汰事 一 抜公事不可有之事 一 親類・被官・百姓已下、雖有申様、可相尋事 一 遠州償、先次第可申付之事 一 設楽殿進退、不可有疎略之事 一 小法師殿本知 …
於牛久保今度令取替来五百俵被返弁之儀、以来穀雖可申付、為遠路之条、代物爾相定、去四月之売買計、別積百五拾貫文可弁債、遠州吉美以年員銭所申付也、若代物就不足者、以同郷之米時之売買積百五十貫文之首尾可相渡之、殊利足之儀者、一 …
1561~3(永禄4~6)年の今川氏関連文書を細かく見ると、通説にあるような、父の弔い合戦もせず遊興に明け暮れていたという氏真の姿はどこにもない。むしろ、松平元康(徳川家康)の反乱で電撃的に奇襲された牛久保を確保しつつ、 …