糟尾寿信、糟尾養信斎に、北条氏邦の療養について述べる
房州様当地箕輪御在城附而、我ゝ令得御介抱候之刻、其方不退御薬等神妙ニ進上、依之、為氏邦御内意、合薬之儀、就覃助言、自分江も別而懇意、殊一両月医書悃望之間、肆読之契介申候条、製名字之一分ニ有之、医道之末裔に與、内訴之所、雖 …
房州様当地箕輪御在城附而、我ゝ令得御介抱候之刻、其方不退御薬等神妙ニ進上、依之、為氏邦御内意、合薬之儀、就覃助言、自分江も別而懇意、殊一両月医書悃望之間、肆読之契介申候条、製名字之一分ニ有之、医道之末裔に與、内訴之所、雖 …
此度中山番ニ者相除候、出陣之支度尤候、恐ゝ謹言、 五月三日 氏直(花押) 和田左衛門殿 同兵部丞殿 →戦国遺文 後北条氏編2532「北条氏直書状写」(武家書翰乾) 花押から天正11年に比定。 この度中山の番からは除外し …
[折紙]此度於度ゝ走廻由、自入道殿蒙仰候、誠無比類候、其地御本意、程有之間敷之間、弥可被抽武勇所、専肝候、恐ゝ謹言、 氏邦(花押) 岸大学助殿 →戦国遺文 後北条氏編2530「北条氏邦書状」(岸文書) 花押から天正11 …
此度入道殿利根川を取越、敵数多討捕候、貴所抽走廻、関口新五郎討捕候、誠無比類候、小田原江茂注進申上候、於此上入道殿御本意、程有間敷候間、各有塩味可被相稼事、専肝ニ候、恐ゝ謹言、 卯月廿四日 氏邦 矢野新三殿 →戦国遺文 …
着到之事 弐本 小旗持 三挺鉄炮放 何も指物可持 三張 射手 何も指物可持うつほ可付 壱本 手鑓 壱騎 自身 三騎 何も指物可指 八本 長柄 以上弐拾壱人 右、自今以後大方如此可有勤仕候、自前ゝ之筋目ニ候間小幡可為馬寄 …
大戸之地被取立由、殊嶮難ニ候歟、肝要至極候、委細者、氏直可被相達間、閣筆候、恐ゝ謹言、 三月二日 『北条左京大夫』氏政(花押) 安房守殿 →戦国遺文 後北条氏編2506「北条氏政書状写」(諸州古文書武州十二) 天正11年 …
相定法度、 糟屋之郷八幡御社頭、於左右前後、竹木不可剪、并馬不可繋候事、 喧嘩口論不可致候事、并殺生放火事、 出陣之砌、松山家中衆、別而如斯之法度、致覚語、以下之者共ニ、堅可申付候事、 右三ケ条、有違犯之輩者、以書付、都 …
其以来無音之間、令啓候、抑度ゝ於其表敵被討捕、手堅被及防戦候、戦功不浅次第候、将又東敵東口ヘ打出由候間、則武州・下総之者共申付、指向候、定敵敗北程有間敷候、就中上州口へ甲州衆可越山由、雖注進候、実説于今無之候、至于事実者 …
四日注進状、今七日辰刻参着候、仍■■先書、敵榎本表張陣、於当方構之地■兼日堅固之備ニ申付候間、於後詰可有時節由、雖覚悟候、手遠之諸味方中、定苦労可有之由、令校量間、為始陸奥守、武州・下総両国之人衆悉今朝打立候、愚之事者、 …
[堅切紙]御在陣之儀ニ付、以御直札被申入候、委細当地御着之時分以面上可申達候条、早ゝ啓入候、恐ゝ謹言、 幸大 定治(花押) 十一月十三日 上筑 御陣所 →戦国遺文 後北条氏編2447「幸田定治書状」(館山市立博物館所 …