糟尾寿信、糟尾養信斎に、北条氏邦の療養について述べる

房州様当地箕輪御在城附而、我ゝ令得御介抱候之刻、其方不退御薬等神妙ニ進上、依之、為氏邦御内意、合薬之儀、就覃助言、自分江も別而懇意、殊一両月医書悃望之間、肆読之契介申候条、製名字之一分ニ有之、医道之末裔に與、内訴之所、雖 糟尾寿信、糟尾養信斎に、北条氏邦の療養について述べる

北条氏政、長尾左衛門入道に、下野方面の戦況を伝え上野国への支援を約束する

其以来無音之間、令啓候、抑度ゝ於其表敵被討捕、手堅被及防戦候、戦功不浅次第候、将又東敵東口ヘ打出由候間、則武州・下総之者共申付、指向候、定敵敗北程有間敷候、就中上州口へ甲州衆可越山由、雖注進候、実説于今無之候、至于事実者 北条氏政、長尾左衛門入道に、下野方面の戦況を伝え上野国への支援を約束する

北条氏政、縣因幡守に、下野国方面の戦況を伝える

四日注進状、今七日辰刻参着候、仍■■先書、敵榎本表張陣、於当方構之地■兼日堅固之備ニ申付候間、於後詰可有時節由、雖覚悟候、手遠之諸味方中、定苦労可有之由、令校量間、為始陸奥守、武州・下総両国之人衆悉今朝打立候、愚之事者、 北条氏政、縣因幡守に、下野国方面の戦況を伝える