今度三州過半錯乱、加茂郷給人等各致別心之処、財宝以下悉捨置云々、殊抽一身吉田エ相移令奉公段、甚以忠節也、然者陣夫一人并同名善四郎給拾貫文地、同三人扶持由雖申、各爾相尋随忠節之軽重遂糺明、重而可加扶助、并同名次郎兵衛抱来本給方名職之事、如本立時、年員諸役之儀者如年来可勤之、永不可有相違之状如件、
永禄辛酉四年 六月廿日
山本清介殿
→戦国遺文 今川氏編1712「今川氏真判物写」(国立公文書館所蔵牛窪記)
今度三河国の過半が混乱となり、加茂郷の給人たちがそれぞれ寝返ったところ、財産を全て捨てたとか。特に一人だけ抜きん出て吉田へ移動して奉公したのは、大変忠節である。ということで、陣夫1人と同姓善四郎給10貫文の地、同じく3人扶持を申したとはいえ、それぞれに事情を聞いて忠節の軽重を調査に、重ねて扶助を加えるだろう。として、同姓次郎兵衛が保有している本給の名職のことは、本来のように年貢・諸役のことは年来の通り勤めるように。末永く相違のないように。