北条氏政、毛利丹後守に戦況を報告、上杉輝虎の出撃を要請する
九日之註進状、今十二未刻、到来、越府へ憑入脚力度ゝ被差越由、祝着候、然而敵者、去年之陣庭喜瀬川ニ陣取、毎日向韮山・興国相動候、韮山者、于今外宿も堅固ニ相拘候、於要害者、何も相違有間敷候、人衆無調、于今不打向、無念千万候、 …
九日之註進状、今十二未刻、到来、越府へ憑入脚力度ゝ被差越由、祝着候、然而敵者、去年之陣庭喜瀬川ニ陣取、毎日向韮山・興国相動候、韮山者、于今外宿も堅固ニ相拘候、於要害者、何も相違有間敷候、人衆無調、于今不打向、無念千万候、 …
態以使申候、如先日申候、松山普請、当月不致而■、秋末者敵方造意も可有之候間、不図存立候、三日之内当地を可打立候、涯分堅固ニ可致候条、可御心易候、并高松筋へ散動之事、藤田色ゝ令懇望間、一動申付可打散存候、御人数之事御大儀候 …
房州衆五六百騎ニて、市川ニ陣取、岩付へ兵粮送候、然ニねたん問答ニて、于今指〓(扌+慮)候、此時打而取所由、江戸衆・高城以下数度申越間、明日五日自当地具足ニて、腰兵粮乗馬ニ付、各懸候、然者必ゝ明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵 …
親父式部丞、去年於遠州毎日之働、寒天之時分劬労更難尽紙面候、為存命者、自今以後、弥可令入魂候処、没命無是非候、以此好向後其方も偏当方荷担、可為本望候、仍馬介二走金進之候、恐々謹言、 追而不例無本復候之間、不能直判候、意外 …
其地無事之由肝要候、仍去廿一夜、出伏兵塩荷通用之者、数多討捕之由、因茲敵往復相留段、誠馳走無是非趣、相州へも可申届候、弥無由断被申付専一候、各へ異見尤候、恐々謹言、 六月廿五日 氏真(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史 …
今度不慮之儀就出来、其城■被相移、走廻之段怡悦候、備之儀、氏康・氏政へ申入候間、馳走肝要ニ候、猶附口上候、恐々謹言、 正月五日 氏真(花押) 大藤式部殿 →神奈川県史「今川氏真書状」(大藤文書) この度不慮の出来事が起 …
今度於海老嶋ニ遂一戦候処、大切所ヲ取越無比類動、各ゝ粉骨感入候、此趣氏康へも急度可申届候、恐々謹言、 卯月廿一日 政勝(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史「結城政勝書状」(大藤文書) この度海老嶋で一戦を遂げ、要所を …
一昨日廿二日仕合被申越、誠今度走廻、不被残候、父之名をも再興浦山敷候、両太守へも、度ゝ奇特之由申候、御本意之上、一簾可被引立之旨御内性候、弥寄子衆へも被為申聞、分骨肝要候、今川殿近日可有出馬候、武田殿者吉田迄出陣、一万余 …
註進状披見候、仍ぬた山へ備を上、敵働候処、致合戦、六人討捕、頸之註文到来、心地好候、打続如此走廻候事、忠節各無比類候、此度感状可遣候へ共、手前取乱間、爰元相静上、可褒美候、此趣各へ可申断候、此度候間、聊無ゝ沙汰、於走廻者 …
一昨日廿二、於曽我山敵数多討捕候、数度之高名無比類候、敵之物先ニ随而水之尾へ早ゝ可来候、猶口上ニ申候、謹言、 三月廿四日 氏康(花押) 大藤式部丞殿 →小田原市史 資料編478「北条氏康書状」 一昨日の22日、曽我山に …