一昨日廿二日仕合被申越、誠今度走廻、不被残候、父之名をも再興浦山敷候、両太守へも、度ゝ奇特之由申候、御本意之上、一簾可被引立之旨御内性候、弥寄子衆へも被為申聞、分骨肝要候、今川殿近日可有出馬候、武田殿者吉田迄出陣、一万余人数之由候、五日之内河村へ可出馬之旨被申越候、於本意無疑候、当城之事者、備堅固候、鉄炮五百丁籠候間、堀端へも不可寄付候、猶吉左右可承候、恐々謹言、
廿四日
宗哲(花押)
大藤式部丞殿
→戦国遺文 後北条氏編687「北条宗哲書状」
一昨日22日に合戦したことお伝えいただきました。本当に今度は残らず奔走されました。父上の名を再興され羨ましく思います。両太守(氏康・氏政)へも度々目覚しい働きだと申し上げております。本意に思っておられ、とりわけ引き立てることを内々に仰せです。寄子衆にもこのことを申し聞かせ、粉骨することが肝要です。今川殿は近日出馬されるでしょう。武田殿は吉田まで出陣、1万余りの軍勢だと聞いています。5日のうちに河村へ着陣するとのご連絡がありました。本意は疑いありません。当城のことは、堅固に守っています。鉄砲500丁で籠もっているので、堀端にも寄せ付けていません。さらに吉報を承れることと思います。