北条氏康、秩父・西原各氏に出陣を指示
房州衆五六百騎ニて、市川ニ陣取、岩付へ兵粮送候、然ニねたん問答ニて、于今指〓(扌+慮)候、此時打而取所由、江戸衆・高城以下数度申越間、明日五日自当地具足ニて、腰兵粮乗馬ニ付、各懸候、然者必ゝ明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵 …
房州衆五六百騎ニて、市川ニ陣取、岩付へ兵粮送候、然ニねたん問答ニて、于今指〓(扌+慮)候、此時打而取所由、江戸衆・高城以下数度申越間、明日五日自当地具足ニて、腰兵粮乗馬ニ付、各懸候、然者必ゝ明日昼以前ニ当地へ可打着候、兵 …
諸足軽衆 一 大藤式部丞 七拾九貫七百文 中郡 北波多野 此外 五拾五貫五百文 寺山なこの木 横野新兵衛ニ被下 五拾貫文 三浦 松輪 以上 百弐拾九貫七百文 一 加藤四郎左衛門 卅三貫五百文 西郡飯田 円応 …
親父式部丞、去年於遠州毎日之働、寒天之時分劬労更難尽紙面候、為存命者、自今以後、弥可令入魂候処、没命無是非候、以此好向後其方も偏当方荷担、可為本望候、仍馬介二走金進之候、恐々謹言、 追而不例無本復候之間、不能直判候、意外 …
其地無事之由肝要候、仍去廿一夜、出伏兵塩荷通用之者、数多討捕之由、因茲敵往復相留段、誠馳走無是非趣、相州へも可申届候、弥無由断被申付専一候、各へ異見尤候、恐々謹言、 六月廿五日 氏真(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史 …
今度不慮之儀就出来、其城■被相移、走廻之段怡悦候、備之儀、氏康・氏政へ申入候間、馳走肝要ニ候、猶附口上候、恐々謹言、 正月五日 氏真(花押) 大藤式部殿 →神奈川県史「今川氏真書状」(大藤文書) この度不慮の出来事が起 …
於今度海老ヶ嶋、一戦之最前越切所、尽粉骨走廻由感悦候、自今以後、弥可抽忠義事肝要候、謹言、 五月十三日 氏康(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史「北条氏康書状」(大藤文書) この度の海老ヶ嶋にて、一戦の最前で切所を取 …
今度於海老嶋ニ遂一戦候処、大切所ヲ取越無比類動、各ゝ粉骨感入候、此趣氏康へも急度可申届候、恐々謹言、 卯月廿一日 政勝(花押) 大藤式部少輔殿 →神奈川県史「結城政勝書状」(大藤文書) この度海老嶋で一戦を遂げ、要所を …
近年大藤寄子衆給銭之方ニ出夫銭、今度御馬廻陣夫無之間、如元来夫丸ニ而可出旨、御印判を被遣候処、自前ゝ夫銭を出由申候歟、永代夫銭にて可出由、御印判有之者、則披可申、為無証據、背御印判之旨儀、為曲事間、人頭を可押立由、被仰出 …
陣夫被下事 壱疋 坂間郷 右、近年為放衆夫、雖大藤同心給被下、陣夫無之由、御侘言申上ニ付而、此度被下候、自当春以現夫可召仕者也、仍如件、 乙丑 二月二日 幸田與三 奉 西原源太殿 →神奈川県史「北条家朱印状」(西原文書) …
陣夫出方 五疋 岡崎 壱疋 臺 壱疋 蓑毛東田原 壱疋 澁澤 三疋 北波田野 壱疋 長善 壱疋 丸嶋 弐疋 落合 壱疋 大屋 壱疋 大嶋 五疋 坂間 壱疋 平間 壱疋 大神 壱疋 平沢 伊豆 壱疋 松本 壱疋 廻夫 以上 …