今川氏真、北条氏政感状に基づき畑彦十郎の川越籠城を褒める
河越籠城中尽粉骨走廻之旨、氏政感状所令披見也、弥可抽戦功之状如件、 永禄四年 四月廿二日 氏真(花押) 畑彦十郎殿 →神奈川県史 資料編3「今川氏真判物」 川越籠城で粉骨を尽くして奔走したこと、氏政の感状を見た。いよい …
河越籠城中尽粉骨走廻之旨、氏政感状所令披見也、弥可抽戦功之状如件、 永禄四年 四月廿二日 氏真(花押) 畑彦十郎殿 →神奈川県史 資料編3「今川氏真判物」 川越籠城で粉骨を尽くして奔走したこと、氏政の感状を見た。いよい …
今度河越籠城之内、尽粉骨被走廻之由、左衛門佐申越候、感悦候、此旨趣氏真へ具可申披候、仍如件、 永禄四年 卯月八日 氏政(花押) 畑彦十郎殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政判物」 今度川越に籠城し、粉骨を尽くして奔走し …
武州河越籠城之内走廻、特ニ去正月松山筋伏兵之砌、敵以多勢雖馳向候、旁ゝ尻持被成之故、無相違候、誠以神妙之至候、帰宅之上、氏政江取合可申、為証文、判形進置候者也、仍如件、 永禄四年 辛酉 壬三月廿七日 左衛門佐 氏尭(花押 …
岩付諸奉行、但今度之陣一廻之定 小旗奉行 中筑後守 立川藤左衛門尉 潮田内匠助 已上 右、何時も打立之貝立を傍尓ニ、小旗悉可相集、於押前物いわせす、いかにも入精可押、小旗敷定百廿余本可有之 …
峯上尾崎曲輪下小屋衆廿二人之内、二ヶ月分兵粮廿俵十二升、此内拾俵六升、只今出之候、残而十俵六升、来三月中旬ニ可出之候、当意致堪忍、可走廻候、猶致忠節ニ付而者、始末共ニ給恩重而可相定者也、仍如件、 二月廿七日 尾崎曲輪根小 …
態以使申候、如先日申候、松山普請、当月不致而■、秋末者敵方造意も可有之候間、不図存立候、三日之内当地を可打立候、涯分堅固ニ可致候条、可御心易候、并高松筋へ散動之事、藤田色ゝ令懇望間、一動申付可打散存候、御人数之事御大儀候 …
着到定 一五拾九貫文 相州東郡 吉岡 此着到 一本 大小旗持、具足・皮笠、 一本 四方指物持、同理、 二本 鑓、二間之中柄、武具同理、 一騎 自身、甲大立物・具足・面防・手蓋、馬鎧金、 二人 歩者、具足・皮笠、 以上七人 …
来調儀火急に付て、氏政より之使、一昨日夜に入来りつき候、様躰者、明後日十九小田原を可被打出分ニ候、市川之船橋をハ、高城請取、はやゝ最中かけ候、如此之上、少も無油断支度専一候、日限之事者、両日まへに、可被仰出候、其故者、氏 …
今度興国寺へ敵忍入、数百人本城江取入候之処、其方自身打太刀、敵於仕庭五拾余人被討捕、城内堅固、前代未聞之仕合、戦功無比類、誠感入計候、此度本意之上、進退可引立候、仍刀一秋広、久所持之間、進之候状如件、 元亀二年 辛未 正 …
於三河国牛久保領之充行知行分之事 一所 賀茂山田方三拾弐貫文 附夫壱人 一所 八幡本所四拾弐貫文 附夫壱人 一所 長草八貫文 附夫弐人 一所 萩原方散田地拾八貫文 以上百貫文 右、父雅楽助先年牧野民部丞雖企逆心令内談に、 …