羽柴秀吉、毛利氏に後北条方の兵員構成を報告する
覚 一氏直 馬廻 七百騎 一北条十郎 岩月城・松山の城二ヶ所 千五百騎 一氏政 馬廻 五百騎 一北条陸奥守 竹山の城 水見城 小山城 関宿ノ城 栗橋城 江ノ本城 四千五百騎 一同安房守 はちかたの城 ふかやの城 前はし城 …
覚 一氏直 馬廻 七百騎 一北条十郎 岩月城・松山の城二ヶ所 千五百騎 一氏政 馬廻 五百騎 一北条陸奥守 竹山の城 水見城 小山城 関宿ノ城 栗橋城 江ノ本城 四千五百騎 一同安房守 はちかたの城 ふかやの城 前はし城 …
一番 二月朔日 貮万人 十そなへ 家康 二番 二月五日 一万三千人 六そなへ 信雄 四千人 蒲生松坂少将 三千二百人 上野宰相 津の中将 二千百人 森右近金山侍従 二千五百人 池田三左岐阜侍従 千二百六十人 稲葉右京郡上 …
九日之註進状、今十二未刻、到来、越府へ憑入脚力度ゝ被差越由、祝着候、然而敵者、去年之陣庭喜瀬川ニ陣取、毎日向韮山・興国相動候、韮山者、于今外宿も堅固ニ相拘候、於要害者、何も相違有間敷候、人衆無調、于今不打向、無念千万候、 …
今度当城楯籠、可走廻之由候、尤神妙候、走廻之処、至于分明者、本意之上、又ゝ望之処一所、可遣者也、仍如件、 永禄四年 三月十日 氏政(花押) 小畑源太郎殿 →小田原市史 資料編470「北条氏政判物写」(諸氏家蔵文書) こ …
今度代官堅固ニ相守、忠節之由承之、恩賞之儀、聊無相違可遣、氏真本意之上者、氏政可申立者也、 弘治三年八月十九日 氏政 富士郡山本村 吉野采女殿 →戦国遺文 後北条氏編・補遺「北条氏政判物写」(富士宮市・吉野文書) 今度 …
今度無二可為一戦条、抛身命可被走廻候、於遂本意者、恩賞者、戦功次第可任望候、所無偽八幡大菩薩可有照覧者也、仍状如件、 元亀二年 辛未 正月七日 氏政御判 小倉内蔵助殿 →神奈川県史「北条氏政判物案写」(小倉文書) 今度 …
小倉内蔵助所持之馬鹿毛事、于今有之儀候哉、先々以来聞及候条、於差上者、尤可為満足候、猶量忠可申候也、穴賢、 永禄四年 十月十三日 御判 今川上総介殿 →静岡県史資料編7 「足利義輝御内書写」(小倉文書) 小倉内蔵助が持っ …
今度越国人数、向小田原相働之刻、為加勢申付候処、以一身之覚悟、武州河越令籠城、数度竭粉骨、殊於河窪口伏兵砌、抽諸勢、渡辺三蔵両人入馬、彼敵押立候、軽身命、被鑓手二ヶ所之段、太以所無比類也、其上於平方口、最前ニ敵之備へ馳入 …
為駿府御加勢、旧冬以来至当夏河越籠城、昼夜辛労、被尽粉骨候、殊更度々馳逢、軽身命被走廻候、氏真へ具可申披候、仍太刀一腰景光作、并河越庄内網代郷進之候、恐々謹言、 永禄四年 四月八日 氏政御判 氏康御判 小倉内蔵助殿 →神 …
ようやく読了。前半は「これでもディケンズか」という程のつまらなさだった。若マーティンがアメリカに渡りエデンの入植生活で苦労するくだりも、同時代性やイギリス人の心象がないとよく事情が判らない。とはいえ、アメリカが独立当初 …