今川義元、牧野右馬允に在城中の法度を下す
一在城五ヶ年之内就右馬允雑説於有之者、遂糾明可申付事 一五ヶ年之内在城相止段於成下知者、只今就在城宛行分者、永不可有相違事 一在城之内為在所見廻可罷越、但至于其時者名代堅可申付事 一同名右近・同名平七郎・原四郎次郎、彼参 …
一在城五ヶ年之内就右馬允雑説於有之者、遂糾明可申付事 一五ヶ年之内在城相止段於成下知者、只今就在城宛行分者、永不可有相違事 一在城之内為在所見廻可罷越、但至于其時者名代堅可申付事 一同名右近・同名平七郎・原四郎次郎、彼参 …
『日本城郭大系』には、知多半島西岸にも「苅屋城」が記載されている。 苅屋城 常滑市苅屋字城下 衣浦湾に臨み、鵜飼福元の居城と伝えられる。 という記述であるが、臨んでいるのは衣浦ではなく伊勢湾となっている。常滑市苅屋 …
去九月十八日、吉良荒河山在陣之刻、為打廻安城桜井江相動之折節、敵出合相支之処、入馬粉骨無比類之旨、畔田伴十郎申之条、感悦軍功之至也、弥可励忠節者也、仍如件、 天文十八年 十月十五日 義元(花押) 幡鎌平四郎殿 →静岡県史 …
鱸兵庫助小渡依致取出、為普請合力岩村衆并広瀬右衛門大夫令出陣、右衛門大夫去八日令帰陣処、阿摺衆馳合遂一戦、手負数多仕出、安藤藤三・深見与三郎両人者、安藤新八郎・同名宗左衛門討捕之段感悦也、此外七日・八日両日ニ於明智、近所 …
新春之祝儀、不可有休期候、仍太刀一腰給候、目出度候、猶祝詞自是可申入候、随而当春可有越山之旨、待入候、委細高井連惇可申候、恐々謹言、 正月十二日 氏真(花押) 幡竜斎殿 →静岡県史 「今川氏真書状写」(判物証文写附二) …
猶以御辛労難申尽候、時分柄と申、すいりやう申候、 急度申候、仍従御奉行其方へ依御理候、細川衆めしつれられ、早々御移、外聞実儀畏入候、此等趣、良善へ申入候、定而可被仰候、然者竹千世・吉田之内節々御心遣、別而無御等閑しるし …
急度申候、松知泉長々就在府被成候、彼家中申事候哉、殊舎弟次右衛門方種々之被申様候、此方にてハ山新なと被取持、三内被頼入候、先日同名攝津守方被罷越候、内々談合ける由其沙汰候、雖然 上様御前無別条候、只今大給用心大切之旨、 …
大和田江相動、惣兵衛構相落、当地悉令放火、敵一両人討捕、注進状令披見候、快然候、手負少々雖有之、不苦之由尤候、近日出馬候之条、期其時候、恐々謹言、 十二月廿日 氏真 判 奥平監物殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥 …
今度金屋取出之刻、敵相動、無指引退散各粉骨故候、殊自最前有着陣、普請早速出来馳走之段、祝着候、猶各より可申越候、恐々謹言、 八月九日 氏真 判 奥平監物入道殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥平家古文書写) この …
今度菅沼新八郎令逆心之処、不致同意、従野田牛久保江相退無二忠節馳走之段、甚以神妙之至也、為其賞従来年代官職一所可申付之、然者以他之地内弐拾貫文、為新給恩可扶助也、弥於励奉公者、重而可加扶助者也、仍如件、 永禄四 辛酉 年 …