急度申候、松知泉長々就在府被成候、彼家中申事候哉、殊舎弟次右衛門方種々之被申様候、此方にてハ山新なと被取持、三内被頼入候、先日同名攝津守方被罷越候、内々談合ける由其沙汰候、雖然  上様御前無別条候、只今大給用心大切之旨、従其方田嶋方被仰付、松平久助方へ有談合、人数十四五人も御越可然候歟、和泉方も軈而可被罷上候、其間御用心のために候、就中和泉方息吉田ニ被置候、是をいたき可取なとゝ、風聞候、宿等之儀用心可被仰付事尤候、恐々謹言、

七月廿二日

朝丹 親徳(花押)

由四 光綱(花押)

良知善 参

→静岡県史 「由比光綱・朝比奈親徳連署状」(田島文書)

急ぎ申し上げます。松平和泉守が長々と駿府に滞在なさっています。彼の家中から報告ありましたでしょうか。特に弟の次右衛門から色々と報告があるようです。こちらでは山新(山田景隆?)などが仲介して三内(三浦内匠助?)に頼み込んでいます。先日同姓攝津守が来訪して内々で話し合ったのも、その沙汰についてでした。とはいえ上様(今川義元)の前では別状ありません。現在は大給での用心が重要であること、あなたから田嶋に指示するように。松平久助と打ち合わせて軍勢を14~5人も派遣すべきでしょうか。和泉守も早々に向かうでしょう。それまでは御用心下さい。中で和泉守の息子が吉田に置かれているのを、抱き取るだろうなどと噂が流れている。宿営地のことは用心を命令することはもっともなことです。

1557(弘治3)年に比定。

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