(今川氏真)判
同名中并牧野伝兵衛・高林源六郎・気賀伯父甥、此人等去年令逆心之条、雖可遂成敗、長能入道依無無沙汰令懇望之条、各免除、然者自今以後可抽忠節之旨、三縁右衛門大夫父子言上之旨、横合之申状於在之者、彼両人遂糾明可決是非者也、仍如件、
永禄八
十二月廿六日
匂坂六右衛門入道殿
→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」
同族の人たちと牧野伝兵衛、高林源六郎、気賀の伯父と甥、この人々は去年逆心したので、成敗するべきであるが、長能入道がたゆむことなく懇願したことにより、それぞれを免除する。であるので、今後は忠節にぬきんでるべき旨、三縁右衛門大夫父子がこれを言上する。横合いから申し上げる事柄がある場合は、両人は糾明して是非を決すること。
判物写
下条内弥門之分弐十壱貫八百六拾文并孫六分弐拾貫参百余之事
右就今度上野城所用、黄金百両・代物百貫、合参百参拾貫之分、令取越之条、宛行畢、永不可有相違、急用相調故忠節也、若彼郷自余之人江雖宛行之、只今出置分ハ、為各別可相除、此分限役之事者、可所務者也、仍如件、
弘治二年 丙辰
二月三日
治部大輔(花押)
戸田伝十郎殿
→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」
下条のうち弥門の分20貫860文と孫六の分20貫300文余りのこと。右は今度上野城の所用金として、黄金100両と代替物100貫、合わせて330貫分を調達させたので、宛行なった。この件は末永く相違はない。急用であったが調達したことは忠節である。もしあの郷を他の人間に宛行なうとしても、今回の出置分は特別に控除する。この分限役のことは、所務するように。
判物写
松平竹千代知行大浜上宮神田事
右、先年尾州岡崎取合之刻、対広忠令無沙汰之条、彼神田召放、依為忠節、自去年出置之云々、然者勤相当之神役、可支配之、若先禰宜雖企訴訟、一切不可許容之者也、仍如件、
天文十九
十一月十九日
治部大輔(花押)
長田喜八郎殿
→静岡県史「今川義元判物」
松平竹千代領の大浜上宮神田のこと。右は、先年尾張国と岡崎を取り合った際、広忠に対して無沙汰をしたのであの神田は召し放った。そして忠節をなしたので去年よりこれを出置したという。であるので、神事の運営を勤め支配するように。もし以前の禰宜が訴訟を起こしても、一切許してはならない。
判物
定
白坂
雲高寺
軍勢甲乙人等、濫妨狼藉堅停止之訖、若於違犯之輩搦捕、急度依注進可処厳過者也、仍如件、
天文十九 庚戌
九月十七日
→静岡県史「今川義元朱印状」(雲興寺文書)
軍勢とその他の人間は、乱暴狼藉を堅く禁じる。もし違犯する者があれば逮捕し、取り急ぎ、報告に基づいて処罰する。
朱印状