朝比奈泰能、牧野保成が長沢城を明け渡すことを感謝する
長沢城、三河被属御本意候間之儀、駿遠之人数一円ニ可被渡置之由申付而、御書申調進之候、誠々御神妙之至、不及是非候、雪斎其国事候条、諸事御談合尤候、猶期来音候、恐々謹言、 九月十六日 朝比奈左京亮 泰能 判 牧野田三郎殿 …
長沢城、三河被属御本意候間之儀、駿遠之人数一円ニ可被渡置之由申付而、御書申調進之候、誠々御神妙之至、不及是非候、雪斎其国事候条、諸事御談合尤候、猶期来音候、恐々謹言、 九月十六日 朝比奈左京亮 泰能 判 牧野田三郎殿 …
今度以忠信之儀、被出身血、無二可有御奉公之由御申、誠御勲功之至候、仍長沢之事、国一途之間者、駿遠御人数在城可被仰付由、是又別而御入魂御申、御祝着候、於静謐之上者、如先日御約諾可被渡置候、若又彼地始終御所望之儀候ハゝ、改替 …
広忠出置候給恩之事、右任彼定員数、無相違可令所務、弥如広忠時可抽奉公者也、仍如件、 天文十九年 十月十二日 よしもと 袖判 筧平三とのへ →愛知県史 資料編10「今川義元判物写」(譜諜余録) 広忠が拠出した給恩のこと。 …
就鵜津山縁辺之儀、八大夫方被差越候、因茲鵜津山江被成御奉書候、然者年内御祝言目出此事候、何様重御吉事可申入候、次長沢両人就御判形頂戴様躰承候、御状之趣、朝丹へ我等存分申、今日十四 御屋形被成御湯治候、被仰越候段者涯分可申 …
御同名八大夫殿御越候、委細承候、仍山田源助御判形給、御知行之内より万疋可請取之由被申候哉、愚僧事、就善得寺造営、昨日迄河原ニ候へハ、今朝承驚入候、殊山源五六日以前河原へ被越候間、其時ハ以別事対談候、此訴訟之事、愚僧ニ一言 …
先日預御状候、祝着至候、御書中趣具承届候、長沢両人従屋形判形被出置候段、蒙仰候、就其来春早々有御参府、様躰可有御申候由尤候、理非之段者可為明鏡候間、屋形ニも紛有間敷候条、可御心安候、涯分我等も存分可申候、朝丹御奏者成候間 …
笠覆寺領参銭等之事、誰々雖申掠候、備後守并三郎任先判之旨、不可有相違者也、仍状如件、 天文廿 九月廿日 勘十郎 信勝(花押) 熱田 座主御坊 →愛知県史 資料編10「織田信勝判物」(密蔵院文書) 笠覆寺領地の賽銭のこと …
大瀬古之余五郎跡職座之事、永代買得之儀、委細勘十郎理申候条、無別義申付候、然上者、於末代無相違可有智行者也、仍状如件、 四月十日 信長(花押) 賀藤左助殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(加藤家文書) 大瀬古の …
去年菅沼十郎兵衛尉・同八右衛門尉帰参之刻、林左京進・菅沼三右衛門布里江打入之処、以敵猛勢相勤之旨、夜中令告知人数無相違引取之段、忠節也、因茲菅沼孫大夫給之内、塩瀬内下方六貫文、大豆弐斗、陣夫一人、任去年之判形、永所宛行之 …
於調儀成就之上者、本知行無相違可令還附候、然者彼一人生害之段、堅可申付者也、仍如件、 七月十七日 義元 判 奥平監物丞殿 →愛知県史 資料編10「今川義元判物写」(松平奥平家古文書写) 『調儀』が成就した上は、本知行を …