御同名八大夫殿御越候、委細承候、仍山田源助御判形給、御知行之内より万疋可請取之由被申候哉、愚僧事、就善得寺造営、昨日迄河原ニ候へハ、今朝承驚入候、殊山源五六日以前河原へ被越候間、其時ハ以別事対談候、此訴訟之事、愚僧ニ一言も不被申出候、衣鉢三安云々、不存候間、不及押置候、如何様之申掠ニ候哉、御判形被出候、不審ニ候、朝丹無疎意候、諸老も別儀不被存候、涯分可被申立候、定依申掠一端被仰出候哉、於御心中有御疎略間敷候、尚口上申候、恐々謹言、

   就高橋雑説、自最前岡崎筋御馳走、御陣労察存候、

十二月十五日

林際寺 崇字 判

牧野出羽守殿 御返報

→静岡県史 資料編7「太原崇孚書状写」(松平奥平家古文書写)

1550(天文19)年に比定。

 同姓八大夫殿がお越しになり、詳しく承りました。山田源助が御判形を受け、あなたの知行から1万疋を受け取ったとのことを申されたのでしょうか。愚僧は善徳寺の造営で昨日まで河原におりましたので、今朝聞いて驚いています。特に山田源助は5~6日前に河原へ来ていて、その時は別の件を話していました。この訴訟のこと、愚僧には一言も言いませんでした。衣鉢三安うんぬんと。存じなかったので、確保には及びませんでした。どのような不正訴状でしょうか。御判形が出されたとのこと、不審です。朝比奈親徳に疎意はありません。諸家老も異義はありません。可能な限り起訴すべきでしょう。恐らく不正訴状によって一旦仰せ出されたものでしょうか。最前より岡崎方面で奔走され、ご陣労察しております。

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