長沢城、三河被属御本意候間之儀、駿遠之人数一円ニ可被渡置之由申付而、御書申調進之候、誠々御神妙之至、不及是非候、雪斎其国事候条、諸事御談合尤候、猶期来音候、恐々謹言、
九月十六日
朝比奈左京亮 泰能 判
牧野田三郎殿
まいる 御宿所
→愛知県史 資料編10「朝比奈泰能書状写」(松平奥平古文書写)
1550(天文19)年に比定。
長沢城について、三河国が領有化されたので、駿河国・遠江国の軍勢一円に渡されるとのことを申し付け、御書面を調整して提出されました。本当に神妙の至りで是非に及びません。太原崇孚がその国事ですから、諸事ご相談されるのがよいでしょう。さらにご連絡をお待ちします。