就今度不慮之儀、当城相移之処、泰朝同前、不準自余令馳走之段忠節也、然者本地之儀者不及是非、急度可加扶助之旨、備中方へ以自筆雖申付之、弥不可有相違、猶於走廻者、別而可令扶助候、謹言、

巳 十二月十八日

 氏真判

興津摂津守殿

→戦国遺文 今川氏編2434「今川氏真感状写」(諸家文書纂所収興津文書)

永禄12年に比定。

 今後不慮のことで当城へ移ったところ、泰朝同前に、他に準じないほどの奔走をしたことは忠節である。そこで本知行のことは言うに及ばず、取り急ぎ扶助を加える旨を、備中守へ自筆で申し付けたのだが、ますます相違があってはならない。さらに活躍したら、別に扶助するでしょう。

今度駿・遠錯乱之刻、無二仁妻子等迄召連、懸河仁令籠城、番普請以下無油断走廻段、甚以神妙之至也、以惣次重而可加相当之扶助者也、仍如件、

永禄十二[己巳] 閏五月二日

氏真(花押影)

三浦小次郎殿

→戦国遺文 今川氏編2380「今川氏真感状写」(滋賀県彦根市・彦根城博物館所蔵彦根藩文書)

今度駿河国・遠江国が錯乱した際に、無二に妻子らを召し連れ、掛川に籠城させました。警備・普請以下を油断なく活躍したのは、とても神妙の至りである。これら全てによって相応しい扶助を加えるだろう。

去九月廿九日於参州八幡合戦之刻、被官人稲垣藤介頸一討捕之旨太神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、

永禄五年 十一月十三日

 氏真(花押影)

牧野右馬允殿

→愛知県史資料編14 補292「今川氏真判物写」(藤原姓・稲垣氏家譜禄)

 去る9月29日に三河国八幡合戦のとき、被官人の稲垣藤介が首級1つを討ち取ったことはとても神妙である。ますます軍忠にぬきんでるように聞かせなさい。

去五月八日於富永口長次郎構之人数相動刻、無比類走廻之旨神妙也、弥可抽忠功之状如件、

永禄五 八月七日

 氏真(花押影)

池田小左衛門殿

→愛知県史資料編14 補290「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下)

 去る5月8日に富永口において長次郎の構えの部隊が働いたとき、比類なく活躍したことは神妙である。ますます忠功にぬきんでるように。

去五月八日於富永口長次郎構之人数相働之刻、被官稲垣藤介蒙鑓疵之所神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、

永禄五 八月七日

 氏真(花押影)

牧野右馬允殿

→愛知県史資料編14 補289「今川氏真感状写」(藤原姓・稲垣氏家譜禄)

 去る5月8日に富永口において長次郎の構えの部隊が働いたとき、被官の稲垣藤介が槍傷を受けたのは神妙である。ますます軍忠にぬきんでるように聞かせなさい。

去六日於号地尻地遂一戦、及刀切々疵・鎗疵弐ケ所被之由尤神妙也、弥可励戦功之状如件、

永禄四年 四月十二日

 氏真(花押影)

池田小左衛門殿

→愛知県史資料編14 補267「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下)

 去る6日に池尻という地で一戦を遂げ、刀の切り傷と槍傷で2箇所を負ったのはとても神妙である。ますます戦功に励むように。

今月廿四日武節本城ヘ敵取懸之処、従最前無比類相動之由甚感悦也、向後弥可抽忠功之状如件、

永禄三[庚申] 十二月廿九日

 氏真(花押影)

池田小左衛門尉殿

→愛知県史資料編14 補241「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下)

 今月24日武節の本城へ敵が取り掛かったところ、最前線で比類のない働きをしたそうで、とても感悦している。今後もますます忠功にぬきんでるように。

正月十八日於遊野地、敵壱人討捕由、誠高名之至候、氏真御本意之上、御感候様ニ可申立候、仍如件、

永禄十二年[己巳] 三月廿三日

 氏政(花押)

鈴木助一殿

[包紙ウハ書]「鈴木助一殿」

→戦国遺文 今川氏編2321「北条氏政感状写」(静嘉堂本集古文書タ)

 1月18日に遊野の地において、敵1人を討ち取ったとのこと。本当に高名の至りです。氏真がご本意の上は、ご感をいただけるように申し立てるでしょう。

今廿八日、於薩埵山敵置伏兵、玉縄衆尺木剪追上候処、其方抽而被走廻、追崩、敵数多討捕候、誠高名之至感悦候、弥可竭粉骨状如件、

永禄十二年[己巳] 二月廿八日

 氏政判

間宮彦次郎殿

→戦国遺文 今川氏編2295「北条氏政感状写」(国立公文書館所蔵記録御用所本古文書九)

 今日28日、薩埵山において敵が伏兵を置き、玉縄衆が尺木を切って追い上げましたところ、あなたがぬきんでて活躍なさって追い崩し、敵多数を討ち取りました。本当に高名の至りで感悦です。ますます粉骨を尽くすように。

去年十二月廿八日午刻、於西郷之構押入鑓走廻、剰去正月廿八日午刻、於懸河天王社路、最前合鑓菅沼美濃お衝伏、其上令刀切蒙鑓手二ケ所之段、粉骨之至也、本意之上、可加扶助之条、守此旨、弥可抽軍忠者也、仍如件、

永禄十二己巳 二月廿八日

 氏真判

潜井善右衛門とのへ

→戦国遺文 今川氏編2294「今川氏真感状写」(東京大学史料編纂所架蔵三川古文書)

 去る年12月28日午の刻、西郷の構えにおいて槍を押し入れ活躍しました。さらには去る正月28日午の刻、掛川天王社の道にて、前線で槍を合わせ菅沼美濃を突き伏せ、その上刀で切らせて槍傷を受けること2箇所の段、粉骨の至りである。本意の上で、扶助を加えるだろうから、この旨を守り、ますます軍忠にぬきんでるように。