徳川家康、三河国津具郷における奥平信光の戦功を賞す
今度津具郷へ相働悉放火、其上後藤九左衛門ヲ始、随分之者数多被討捕由無比類候、弥加責等不可有油断候、恐々謹言、 正月十二日 (家康花押) 奥平喜八郎殿 →愛知県史 資料編11「徳川家康感状写」(北設楽郡史所収文書) 156 …
今度津具郷へ相働悉放火、其上後藤九左衛門ヲ始、随分之者数多被討捕由無比類候、弥加責等不可有油断候、恐々謹言、 正月十二日 (家康花押) 奥平喜八郎殿 →愛知県史 資料編11「徳川家康感状写」(北設楽郡史所収文書) 156 …
去年九月十日向梅坪相動之刻、於鑓下弓仕敵数多手負仕出、無比類之旨各以連判注進、神妙之至也、守此旨弥可忠軍忠之状如件、 永禄四年 八月廿六日 氏真(花押影) 鱸新三左衛門尉殿 →愛知県史 資料編11 「今川氏真感状写」(伊 …
旧冬三州武節谷へ遣士卒砌、別而被挊之由候、忠信無比類、猶以戦功可為肝要候、恐々謹言、 弘治三年正月二日 晴信 御朱印 下条兵部少輔殿 →戦国遺文 武田氏編「武田晴信感状写」(下条由来記) 前の冬に三河国武節谷へ兵員を派 …
今月朔日、簗瀬九郎左衛門令八桑江其行、城廻小屋五六十放火、敵四五十人討捕之旨感悦、於度々如此候段神妙也、弥可抽戦功之状如件、 永禄三年 十一月十五日 氏真判 原田三郎右衛門殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(紀伊 …
今度当城楯籠、可走廻之由候、尤神妙候、走廻之処、至于分明者、本意之上、又ゝ望之処一所、可遣者也、仍如件、 永禄四年 三月十日 氏政(花押) 小畑源太郎殿 →小田原市史 資料編470「北条氏政判物写」(諸氏家蔵文書) こ …
今度越国人数、向小田原相働之刻、為加勢申付候処、以一身之覚悟、武州河越令籠城、数度竭粉骨、殊於河窪口伏兵砌、抽諸勢、渡辺三蔵両人入馬、彼敵押立候、軽身命、被鑓手二ヶ所之段、太以所無比類也、其上於平方口、最前ニ敵之備へ馳入 …
今度興国寺へ敵忍入、数百人本城江取入候之処、其方自身打太刀、敵於仕庭五拾余人被討捕、城内堅固、前代未聞之仕合、戦功無比類、誠感入計候、此度本意之上、進退可引立候、仍刀一秋広、久所持之間、進之候状如件、 元亀二年 辛未 正 …
大和田江相動、惣兵衛構相落、当地悉令放火、敵一両人討捕、注進状令披見候、快然候、手負少々雖有之、不苦之由尤候、近日出馬候之条、期其時候、恐々謹言、 十二月廿日 氏真 判 奥平監物殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥 …
今度金屋取出之刻、敵相動、無指引退散各粉骨故候、殊自最前有着陣、普請早速出来馳走之段、祝着候、猶各より可申越候、恐々謹言、 八月九日 氏真 判 奥平監物入道殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥平家古文書写) この …
去月十七日、三州名倉於舟渡橋、岩村人数出張候処、敵山内采女か被官後藤三右衛門討捕之、同類之被官加藤甚四郎討捕之、同山本甚兵衛被疵一ヶ所、中村彦次郎蒙疵神妙之至也、弥可抽戦功之由、可申付候状如件、 永禄元年六月二日 義元判 …