今月朔日、簗瀬九郎左衛門令八桑江其行、城廻小屋五六十放火、敵四五十人討捕之旨感悦、於度々如此候段神妙也、弥可抽戦功之状如件、
永禄三年
十一月十五日
氏真判
原田三郎右衛門殿
→静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(紀伊国古文書所収藩中古文書)
今月1日、簗瀬九郎左衛門が八桑で応戦し、城の周囲の小屋50~60軒に放火、敵40~50人を討ち取ったとのこと。感悦である。度々このような功績を挙げており神妙であり、ますます戦功に励むように。
今月朔日、簗瀬九郎左衛門令八桑江其行、城廻小屋五六十放火、敵四五十人討捕之旨感悦、於度々如此候段神妙也、弥可抽戦功之状如件、
永禄三年
十一月十五日
氏真判
原田三郎右衛門殿
→静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(紀伊国古文書所収藩中古文書)
今月1日、簗瀬九郎左衛門が八桑で応戦し、城の周囲の小屋50~60軒に放火、敵40~50人を討ち取ったとのこと。感悦である。度々このような功績を挙げており神妙であり、ますます戦功に励むように。