墨田党、織田方となって高野衆と交戦する
一、畠山相果被申後者、信長殿へ付申、則高野御改被成、其儀ニも弐拾五人之者先手を仕候へと、長谷川お竹・ふくすみ之両人御承ニ而御諸参候、信長殿之人数者松山新助、ゑほしかた衆、則生地表之持口、隅田弐拾五人者東家表之持口、大津口 …
一、畠山相果被申後者、信長殿へ付申、則高野御改被成、其儀ニも弐拾五人之者先手を仕候へと、長谷川お竹・ふくすみ之両人御承ニ而御諸参候、信長殿之人数者松山新助、ゑほしかた衆、則生地表之持口、隅田弐拾五人者東家表之持口、大津口 …
猶ゝ、越年之義不成事候、各有談合、一途輝虎相心得任入候、鳥目召仕之者共ニ出候へとも、令侘言、及暇令闕落候、爰元可察候、 雖未相届申越候、爰元越年之事、不調不尋常候、如何も自要害合力、参千疋被越候へとも、世間只今之義相替候 …
「(封紙ウハ書) 「(後筆)平井上杉」 赤木山大夫奈良原紀伊守殿 光哲」 就越山当山へ立願之子細候、於向後者為祈願所抽精誠祈念可為肝要候、殊不入事得其意候、仍如件、 永禄三年 九月廿七日 光哲(花押) 赤木山大夫 …
(封紙ウハ書)「外郎七兵衛門尉 憲政」 今度不思議之世上、以普代之筋目令参府候、喜悦之至候也、 八月三日 憲政(花押) 外郎七兵衛門尉 →群馬県史 「上杉憲政判物」(碓氷郡 陳外郎文書) 花押形状が光徹書状と一致 この …
其以来者、是非之儀無之候、仍同名平三上州へ差遣使僧帰候間、彼国之様躰弥以聞届候間、越山之義、可相急候、無油断用意簡要候、定而爰元之儀等、従平三方可申越候、将又山中路次之事、可被申付候哉、尤候、謹言、 (付箋)「天文廿一」 …
(端裏押紙)「三俣将監与佐田舎人」 覚 一 関東江 御出馬之始者、かのへ申之年、関東御手ニ入、みつのへいぬの年、鎌倉八幡宮ニ而、官領職謙信様江ゆつり御申被成、諸大名衆御祝儀被成候由、及承候、 一 永禄二年かと覚申候、越後 …
其方同名之仁等始、八州悉北条与一味、既ニ及切腹候事、前後忠信不可有比類次第候、於治国ハ、為加恩其方同名但馬之一石差出置之候、尤名字中之可為棟梁者也、仍如件、 永禄元年 五月五日 憲政 長尾孫六殿 →群馬県史「上杉憲政判物 …
不思議之世上故、当国打越候、然処、爰元相調候間、近日上州可打入候、長尾弾正少弼有談合、一途可被稼候、将又為祝太刀一腰并鳥目如書中給候、怡悦候、随而太刀一進之候、恐々謹言、 七月三日 成悦(花押) 平子孫太郎殿 →群馬県史 …
12月1日からのエントリーでは、古文書のアップを優先する。これは2月に刊行予定の『戦国遺文 今川氏編2』によって今川氏関連文書が増える予想に備えるものであり、また、様々な論の展開に必要な文書を補充する目的もある。 いつも …
態馳筆候、抑東国鉾楯無際限事、且云味方中労苦、且云万民無安堵思、旁以今年関東可討是非議定候、当月之事者、漸無余日候、何様来月者、必可越山候、定而甲相両軍茂可出張候間、以防戦一途可落着候、於勝利者無疑候、然者上武之間、何之 …